『非原理教会:不良食口 おやぢの独白』は、20年以上前に『まぐまぐで』発行されていたメルマガです。
おやぢの独白1は、
1999年09月15日創刊号から2000年02月24日(Vol.047)まで、
おやぢの独白2は、
2001年06月21日から2001年10月29日(Vol.037)まで、通算84回配信されました。
この電子書籍は『おやぢの独白2』をまとめたものになります。
1999/09/25(Vol.005)~ 1999/10/04(Vol.009)の配信は、
HNおやぢさんのペンネームである『たつせいぞう』名義で執筆した連載小説
『非フィクション劇場~サイビジャンキー』が連載されています。
その小説部分を抜き出してまとめたものがこちらになります。
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サイビジャンキー!霊感商法に魅入られた男: 元統一教会信者『おやぢ』さんが遺した幻のメルマガ『おやぢの独白』復刻シリーズ Kindle版
各メルマガの奥付にはこう記載されています。
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不良食口おやぢの独白は転載・複写・自由です
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HNおやぢさんは、1980年代の統一教会(現世界平和統一家庭連合)底辺で活動していた方です。1990年代後半からネット上で統一教会の実態について言及していました。
『非原理教会』『お悩みカウンセリングルーム』『みんなの掲示板』など、Webページを運営し、悩んでいる信者さんの相談にも乗っていたようです。
統一教会内では数多くの理不尽な体験をされたおやぢさんですが、メルマガは感情に流されず客観的・理性的・論理的に時にユーモアを交えながらも本質を突いた内容なっています。20世紀末の統一教会のなまなましい現場の実態を知るにはとてもよい資料です。
多くの人に知ってもらいたいという願いから、転載・複写をフリーにしたおやぢさんの意思を汲んで、このまま消えてしまうのは勿体ないと思い、この度電子書籍として出版するに至りました。
[出版社の紹介文より]
【目 次】
統一教会とマインドコントロールを考える(昭和枯れすすき編)
元の鞘と元の木阿弥
自律のススメ
テツガクするドカタへの回帰
世捨て人風ドカタテツガク=原理ギヤグ
善神の業と悪神の業
リバウンド姉妹
御目合問題ふたたび(その1)
御目合問題ふたたび(その2)
初夜権を考える
初夜権と教祖の御目合問題
原理研究会の研究
地上天国での統一教会的物売り
万物復帰と○んこシリーズ
非原理の人に救いの条件を立てさせてあげよう シリーズ
教団の宿命信仰とは
人間信仰と依存統一教信者さんは、教祖教の人が実に多い。
宗教団体が世界を救えないワケ
原理が崩壊することはありえない(アイロニー)
ゲンリ教条主義者より厄介な者たち
ボジティブシンキング
干渉される祝福カップル
原理につまづいて離れる人
統一教会観
統一教会問題とは?
総生畜献納解怨祭について
ネット時代の統一教会のありかた
信仰の名の下に粉飾された悪行
統一教会は反教義集団
教祖と教義は使いよう
信じて滅びよ(オマエがな)
マイコンにかかりやすい人 かかりにくい人
タネアカシ ネタバラシハ ケッシテスルベカラズ
おめでたい人ア・ラカルト
カルトの簡単なつくりかた
これって愛?それとも意地悪?
統一教会では禁断の「恋」について
おやぢの怨念
若い時の献金は借りてでもしろ?
不統一理論に思う
【内容一部紹介】
◆地上天国での統一教会的物売り
>原理研究会時代、自分の所の寮長さんは
>地上天国ができてもFはなくならないだ
>ろうといってた。理由:信者の個々に神
>との出会いをもたせる為。
(某掲示板での投稿より)
これ、読んで寮長さんて「お・ち・ゃ・め」って思いました。
微笑ましい寮長さんですね。
Fというのはぶっちゃけたハナシ
・内的-疑似托鉢(商品と交換)
・外的-物売り
なのですが、信仰の訓練とか万物条件を立てるとか個人の復帰路程とかいろんな解釈をしています。それこそシックの数だけあります。
ぼくも、一連の活動は経験しましたが、おやぢ的には信仰の訓練とか神と出会うというより、いわゆる一つの「体験」としか残っていません。
もっとも、このような行為で「神を感じた」食口もいるのでしょうが、ぼくが「神を感じた」のは、こういう行為をしている時ではなく、借金返済部門で必死こいて、信者から借りた金を返すために、礼拝にも出ないで(そんなひまはなかった)カネをいかにつくろうか、またカネをかき集めることに奔走していたときのことでした。
「おお、神よ!ぼくは一日も早くこのカネがらみの問題が解決できますように頑張ります!礼拝にも出席できない不信仰者をどうかお許しください……」
と祈りながら金集めや信者に返済の延期をお願いに回ったり、怒り心頭の壮年たちに頭をさげに、というか怒られにいったりしていた時期を昨日のことのように思い出しています。
その時いつも神様から返ってくるのは「涙・涙……」でした。
これを書いているときも、恥ずかしながら「涙」が流れてきてしまいました。
それだけぼくのなかに強烈な体験として残っているのです。
一言でいえば「不条理」なのですが、カフカ的なものとは違う不条理です。
これが、ぼくの神体験です。
もしぼくが催眠療法をやられたとしたら、うおーーーー!とかなんとかいって床を転げまわるのはないでしょうか。
だから、心理療法はやらないでおきましょう。
あ、ハナシをもとにもどしましょう。
Fをやって、神と出会ったつもりになるのは、売上げがあがってうれしかった、とか、売れなくてどうしようと思ったところバッグセットを買ってくれた人がいた。神様のように思いました。
とかいってそこで「神を感じた!」となるのでしょう。
これもシックの数だけ体験があることと思います。
ちなみにぼくはFでは売れなかったというか、売るつもりがあまりなかったので、売れない悔しさ、悲しさ、を知りましたし、訪問先でのおばちゃんたちとの世間話、飯場のオヤジたちとのバカっぱなしなどを通じて、様々な思いでをつくりました。
物売りを通じて、様々な刺激を受けるわけですが、その体験を通じて人格形成の糧になればそれはそれでよいことではないでしょうか。
ただ、無理矢理やらして(それをやるのが当然だみたいな雰囲気にさせる)、あとで恨みをかわれるようなことはすべきではないと思います。
ですから、希望者だけにやらせるべきなのです。
ところで、地上天国でのFってどんな感じなんでしょうね?
地上天国って、みんな神さまと一問一答できてるわけでしょう?
神さまとの心情の回路がきれたことが堕落なんでしょう?
その回路を回復するために信仰するわけでしょう?
地上天国っつうところには「信仰」は存在しないんですヨ。(原理的にいえばね)
わっかるかなあ~>寮長さん!
わかんねだろうなあ。(松鶴家千とせ)
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