統一教会の”先祖解怨”って、天理教の”いんねんの納消”みたいな感じ?
Twitterでこんなコメントをみかけました。(念のためスクリーンショット)

統一教会の”先祖解怨”って、天理教の”いんねんの納消”みたいな感じ?
統一教会を知るほど、天理教と似ていて驚きますね。
— 天理教社会学研究所 (@tenrisyakaigaku) October 17, 2022
先祖解怨(せんぞかいおん)という、統一教会:詐欺まがいのカネ儲け手段については、あまりにもバカバカしくて時間を割くのももったいないので、ここではあえて糾弾しないことにします。
そのかわり、統一教会二世が作成した秀逸な完璧論破動画があるので御覧ください。
さて、僕がこのTweetのどこに脊髄反射したかというとそれはネーミング(教理の表現)の部分。
納消は[なっしょう]と読むようですが、”因縁” を “いんねん” と表記するところが、やさしいかんじがしてよいですね。
一方、統一教会の専門用語はやたらおどろおどろしいイメージでホラーのタイトルにもなりそうな、読み方もよくわからないしパッと見、意味もわからないようなものばかり。
(例:総生畜・独生女・蕩減)
その点、天理教のそれは、ひらがな表記でやさしい印象を受けます。
天理教のオフィシャルサイトで教えを紹介してしていたので、以下引用します。
いんねん
元来は仏教用語で、直接的原因(因)と間接的条件(縁)との組み合わせによって、さまざまの結果(果)を生起することを意味します。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/innen/
「おふでさき」ではもっぱら、「元のいんねん」の意味で使われています。すなわち、親神様が陽気ぐらしを見て共に楽しみたいと、元のぢばにおいて人間を創造されたという元初まりに由来するいんねんです。
『天理教教典』では、また、「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる」と、厳然たる因果律の存在が述べられています。いんねんは今生一代にとどまらず、末代の理である魂に刻まれて、来生へと受け継がれるものでもあります。
ただし、本教でいういんねんには、仏教などでいう因果応報とは違い、その奥に、陽気ぐらしへ導こうとされる子供可愛い親心があることを忘れてはなりません。
たんのう
「たんのう」の原義は、足りているということだとされています。つまり、満足したという心の状態です。
苦しい状況の中でたんのうするとは、単に歯を食いしばって我慢したり、泣く泣く辛抱したりすることではありません。これで結構、ありがたいと前向きに受けとめ、心を励まして踏ん張ることです。また、そこに運命の切り換わる道が開けてくるのです。したがって、たんのうはあきらめの心情ではありません。悪い状態を無気力に受容することでもありません。
「たんのうは前生いんねんのさんげ」とのお言葉にうかがえるように、成ってきた事柄を、成るべくして成ったものと受けとめ、その因ってくるところを思案し、芳しくない運命が切り換わるよう、理づくり、努力することを決意することです。『広辞苑』の編者である新村出博士によると、「たんのう」の原義は「足りている」ことで、「足りぬ」「足んぬ」と変化したもの、すなわち満足したという心の状態を指すということです。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/tanno/
・統一教会:おどろおどろしく恐怖心誘発
・天理教:ひらがな表現がおおくやさしい感じ
⇒ネーミングセンスで天理教のほうが優勢?
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