はじめに
この手記は、20年以上前に『まぐまぐ』で発行されていたメルマガ『非原理教会:不良食口 おやぢの独白』を著者の了承を得て編集・まとめたものです。
出典:『おやぢ』の独白シリーズ(1999年09月15日~2001年10月29日)
⇒ https://oyadi2022.com/publishing-oyadi-1
⇒ https://oyadi2022.com/publishing-oyadi-2著者のおやぢさんは、1980年代の統一教会(現世界平和統一家庭連合)の底辺で活動していた方です。1990年代後半からネット上で統一教会の実態について言及していました。
『非原理教会』『お悩みカウンセリングルーム』『みんなの掲示板』など、Webページを運営し、悩んでいる信者さんの相談にも乗っていたようです。統一教会内では数多くの理不尽な体験をされたおやぢさんですが、メルマガは感情に流されず客観的・理性的・論理的に時にユーモアを交えながらも本質を突いた内容なっています。20世紀末の統一教会のなまなましい現場の実態を知るにはとてもよい資料です。
[出版社紹介文より]
著者ごあいさつ:1999年09月15日
こんにちわ、おやぢです。
お待たせしました、創刊号をお届けします。
本来ならば自己紹介などをするべきなのでしょうけれど、あまり詳しく紹介してしまいますと、どこのどいつだかわかってしまいますのであえて自己紹介をしない無礼をお許しくださいm(__)m
当メルマガを発行するにあたり教会員からの執拗な嫌がらせを受けまして、恐怖を感じています。
チンピラ教会員から「陰でコソコソやってないで正々堂々とやってみれ」と言われるのは大変悔しいのですが、自己防衛のためです。何卒ご了解ください。
このメールマガジンに登録された皆様は、現役バリバリの教会員さん、お悩みの現役教会員さん、元教会員さん、教会員の親御さん、統一教会に入信してみたいと思っている方、統一教会に反対している方……などなど、実に様々な立場の方だと思っています。
統一教会に関係した人なら『非原理(ひげんり)』とか『食口(シック)』という言葉は理解できると思いますが何が何だかわからない人のため、先に説明しておきましょう。
原理読みの原理知らず
[非原理]とは原理に非ず(あらず/non-principled)の意ですが、通常、非統一教会員や教会の外部のことを指します。
たとえば、「今日さー、非原理の奴と話したんけどさー、ハナシが合わなくってさー」とか
「よお、久しぶりぃ!おまえ非原理の会社に就職したんだってな」とか
「おいおい、非原理の店から買って来たものは聖別(清めること)しよろなー」とかいうように使われているのです。
面白いことに、統一教会では
「原理は統一教会だけの原理ではなく、万民のための原理なのです」
とかなんとかいいながら、実は原理と非原理の境界を自分勝手な思いこみでしっかりと築いていたりするのです。
原理という教えをお経のように唱えることによって救われるのではなく、原理の教えを実践することによって個人が救われ地上天国が出来るのだ、と原理が教えているにもかかわらず、能書きや屁理屈は垂れるものの原理を実践する者が極めて少ないのが現状なのです。
非原理という言葉を使う時、教会員は自分を常に高い位置に置いています。
単に、知識や優越感によって非原理と原理を区別しているだけに過ぎないのに、自分は原理側にいるんだと思いこんでいる教会員が実に多いのです。
『知らない人よりは知っている』という優越感が力の源泉になっているのです。
原理にも非原理にも聖人にも泥棒の上にも同じ太陽が昇るのです。
原理講義や礼拝の説教は出来るが能書きばかりで使いモノにならない教会員より原理講論は読んだことはないが、田舎で『為に生きる』バア様の方が人格のレベルは高いのだ。そのバア様に、彼らは教会に繋がってないという理由だけで非原理というレッテルを貼ってしまうのである。
為に生きる原理があるとするならば、為に生きている者が原理であって、為に生きることを唱えている段階は、未だ非原理であり無原理なのです。つまり「論語読みの論語知らず」ならぬ「原理読みの原理知らず」なのです。
あるいは「原理読んでないんで原理知らず」なのかも知れません。
さらに、実践はしているかも知れないが「間違った実践」をしているのかも知れません。
まあそのようなわけで、彼らに優越感に浸っていただくためと、原理と非原理の区別をやたらとつけたがるので、ぼくの所属する教会は「非原理教会」と命名してみました。
大道廃れて仁義有り
[食口]はシックと読みます。これは教会員を指す言葉として使われています。韓国では家族を指す言葉のようです。ぼくは韓国で暮らしたことがないので深い意味はよくわかりません。
ぼくが食口と名のっているのは、統一教会の慣例に従って使っているだけのことです。
今でこそ教会と距離はあるものの、かつて教会内で兄弟姉妹達として同じ釜の飯を食べたのですから、離れていても食口は食口だとぼくは思っています。
ただし、ぼくは統一教会が標榜する「万民救済」のような大それたことは出来ない半端者ですから、[不良食口]と名のっているのであります。
そういえば三日ほど前から現役食口による熱烈な祝福を受けました(笑)
ぼくのホームページやこのメールマガジンに関する陰険な攻撃です。
その祝福のお言葉は、[みんなの掲示板]に紹介してありますのでご覧下さい。
→→http://cgi.members.interq.or.jp/jazz/misty/cgi/bbs.cgi(リンク切れ)
JL-2と名のる食口から___
99年09月12日00時51分10秒に
「あなたは食口ではありません」と突然言い渡され
同じ日21時08分44秒
「自分のやっていることが教会に不利になっているのがわからないのか?国進ニムは教会に不利になることを大手をふってやっているやつは食口ではないといわれている。」
と、ぼくを食口と認めない理由を申し伝えてきました。
ちなみに、国進とはクッチンと読み、ニムは日本語の[様]という意味です。
※四男:文国進氏について
⇒https://ameblo.jp/chanu1/theme-10089737611.html
その国進ニムが教会に不利になることをやってるやつは食口じゃないといわれているそうなのです。このように、食口の解釈はいろいろとあるようです。原理の解釈は教会員の数だけあるのですから、それは仕方ないことでしょう。
それよりもなによりも、このJL-2の言動って教会に不利になっているんじゃないのかなぁ~?とそっちの方を心配してしまう人の好いおやぢなのでした(笑)
こういう人の道を踏み外している輩を見るたびにいつも思うことがあります。
原理が真理かどうかの問題ではない、と。統一教会の問題ではない、と。
本来、人のふみ行うべき正しい道が自然に行われていたならば、特に仁義を説く必要はなかったはずだが、道徳がすたれてきたからこそ仁義が必要になったように、そもそも原理なるものを必要とする者は大道を失った者なのである。
正しい人の道を歩んでいると自他共に認める者には原理は必要ないのである。
統一教会自らがこう言っているではないか。
「統一運動の目的の一つは、宗教をなくす運動です」と。
「統一教会は本来必要なかったのです」と。
統一教会員を名のる者はそのような恥ずかしい立場にいるのだという自覚を持って個人の人格形成に勤しんでもらいたいと願うものであります。
知らぬ間に数十億円の保証人にさせられていた
統一教会には巨額の負債があるらしいということはマスコミの報道などからご存知の方も多いと思います。
正確に表現しますと”教会信者”に多額の負債あるのです。
ぼくは法的には数十億の負債を抱えています。
あえて”法的に”と表現した理由は自分の意思で借金をしたのではないからです。
これからその辺の複雑な事情を説明してみたいと思います。
ぼくの債権者は統一教会の信者さんです。もちろん複数人です。
で、その信者さんはご自分のお金を直接貸している人もいれば、ノンバンクやサラ金から借りた金を貸している人もいます。
では、なぜぼくが自分の意思でもない数十億もの金を借りなければならなかったのか?という背景をお話します。
もちろんぼくが必要としていたわけではなく、統一教会の組織において緊急かつ巨額なカネが必要ということで、教会側が信者さんに対しアナウンスをしたり責任者が個別に面談したりしてカネ集めをしたのです。
実際、何に使ったのかはぼくには知る由もありませんが、説明によりますと、
文鮮明教祖が必要としているということは間違いない事実だと思います。
信者には「摂理」という言葉を使っていました。
単純にいえば
「巨額なカネが緊急に必要だから、おらほ(統一教会)にカネ貸してくれ~」
ということなのです。
もちろん、信者さんの中には貸すということはあげると同じ事だと納得の上、献金として上納した人もいます。しかし、繰り返しますが統一教会が必要とするカネというのは緊急かつ巨額だったのです。
そのような背景があったからこそ、献金ではなくすぐに大きなカネが集まる借金を信者さんにお願いしたのです。
貸借関係としては
債務者:(宗)統一教会 ←→ 債権者:信徒
以上ようになるのが普通です。
ですが、統一教会は一切債務者としての名を連ねてはいません。
借用書は教会の名義ではなく、代わりに一信徒の名前で借用書を書くのです。
統一教会の名前は一切でてきません。
信者さんとの間に交わした借用書の債務者は教会職員(教会長や会計、総務など)の名前はあがってきません。すべて教会信徒会に属する(便宜上、対外的な組織)の信者がなるのです。
ぼくの場合、当時の責任者から名義人になってくれといわれ、組織に属している者として断る理由はありませんでしたから承諾しました。教会が責任持って返済するからというのですから、何も疑うことなく完璧に信用していたからこそ、承諾したのです。
その時、印鑑を貸しておいてくれとも言われたのですが、やはり何も疑うことなく印鑑を教会に預けることにしました。
ところがその後、ぼくが貸借契約の場に立ち会うことは一切なく、責任者が勝手にぼくの印鑑を使用し、勝手にぼくの住所名前を署名していたのを知りました。
それは、Yさんというビデオセンターで学んでいる段階の統一教会員の自覚のない年配の方から、ぼくの自宅に夜中電話があったことが切っ掛けで発覚しました。Yさんとはお互い顔と名前を知っている程度の面識はありました。
大分酔っ払っている様子で
「この野郎!!おまえは朝鮮の宗教やってる野郎だったのか!!!」
「よくも騙しやがって!明日そっち行くから覚悟してろこのやろ!」
てな状況で、こちらが口を挟む余地は全くないくらい興奮していました。
次の日、ぼくの所属している教会は大騒になったことは言うまでもありません。
このように、教会員の自覚のない人からも無心していたこと、人の印鑑を勝手に使い署名までしていたことがわかりました。献金した人や自分のお金を教会に貸した人は別として、ノンバンクやサラ金から借りたお金を教会に貸した人、つまり又貸しした人、この人達が今、悲惨な状況におかれているのです。
教会側はお金を貸してくれ、と言ったのですから、いずれは返すのがスジです。これこそ「蕩減原則」です。
※蕩減(とうげん)は日本語にない言葉です。韓国語の意味は負債の清算という意味ですが、原理用語としての”蕩減”は罪滅ぼしという概念に近い。
債務者の名は一信徒であっても、信者さんは統一教会に貸しているのだと納得しています。ところが!真っ先に原理を実践すべき親方が、借用書に明記してある期日まで返済しないのです。
ゴルァ!カネ返せ! VS ま、待ってください!
教会内部の修羅場は、TVで流された全壮協(ぜんそうきょう)のビデオ等で知ることができます。
1993年10月29日:教団に名義を貸した壮年・壮婦の組織、「全壮協]が借金問題の解決を求め、集団交渉をするが教団側が誠意ある回答をしないので、当時の江利川安栄会長(現 日本サンクチュアリ協会:会長)に詰め寄った緊急集会のビデオが外部に流出する
[参考資料:「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録:有田芳生]
全壮協緊急集会より
【信者】
「必ず返すというから貸したんだ、なんでわれわれ仲間が裏切られなきゃならないんですか?仲間でしょうが!ふざけるんじゃない!どういうことですか?」
「そうだ、そうだ」
「ちゃんと答えろ」
「言ってることとやってることが違うじゃないか!」
【江利川安栄会長】
「とにかく、私ができるかぎり死力を尽くすつもりです。お父様もなんとおっしゃっているか、借りたものは返すんだというお考えであられます」
「ふがいない無責任な教会の立場だということをおわびいたします。私が代表しておわびいたします」
信者たちの怒りはおさまらず次々と罵声が浴びせかけられる。
逆ギレした女性幹部が机を拳でバンと叩く。
「黙って話しを聞いてください!」(一喝するがかえって逆効果)
【信者】
「威張って言うな!」
「なんだ、その態度は!」(再び会場は騒然となる)
土地を担保に4億円借入れするも裏切られる
最初に、寄せられた情報を紹介します。(S.Yさん)
人の良いその債権者である統一教会の信者のなかには、泣く泣く債権を放棄する人達が多いのも事実だ。その信者達の場合は、土地建物を担保に銀行から借金をしているケースが多いだろう。私の知人で、5~6千万円の借金をして教会側から踏み倒され、担保物権である何代も続く家、建物を競売にかけられ、それを失った人がいる。
「借金してでも金を神にささげろ」
というのはメシヤ(文鮮明)の御言葉ではなかったか?
「全てを捧げて、テント(家)から子女を学校にかよわしなさい」
という御言葉もあったのでは?
金は自分が使っておいて、法律的に負債者として「統一教会または文鮮明」という名前は、どこにもでてこない仕組みになっている。これこそ、堕落性の極ともいえる、「責任転嫁」そのものである。その金はどこに使われたのだ?
「神の摂理のため」の一言でかたづけられてしまう。
人類のメシヤは、そのような弱い立場の借金に苦しむ信者を思いやる気持ちは本当にあるのか?
様々な最近のメシヤの自己賛美の大勝利宣言だが、かたや、借金地獄に苦しむ人達がいて、勝利宣言をするのだったら、その人達に借金をかえしてからにして欲しい。
全壮協NETWORK2(1995年)に代々農業を営んできた家系で1988年に祝福を受け、世田谷教会に切望されて土地を担保に4億円の借り入れに協力し、裏切られた方の証しがのっていました。
内容は
1 摂理に応えて高額借り入れ
2 「必ず返す」が「返せない」と一転
3 返済延長は献金のムダ使い
4 思い悩む夜毎の家族会議
5 両親、信仰で土地を手離す決意
6 無計画な教会に振り回される
7 全壮協を信頼して全面委任
8 見納めの畑で、ただ涙
9 教会から一言の挨拶もない
10 今問われる信徒の人格
信者さんがこんな事を書いていました。
「アベル*の問題点を感じながら、何が言うと不信仰者、異端、分派のレッテルを貼られるのを恐れて、おとなしく黙ってしまい、それでいて、アベルのいない所では陰口を言うのです。こんな不健康な組織が発展するはずがありません」
「今回の件で、家族全員が御父母様にほんのわずか近づくことができたように思います」
※アベル:旧約聖書に登場するアベル・カインに関連する原理用語。アベルがより神に近いという意味でこの場合組織の上位者を指す。上司がアベル:部下がカイン、のようなもの。
他に、『アベル的』『カイン的』という表現もある。ざっくりいえば、『アベル的』が教会組織に益するポジティブな言動に対し、『カイン的』とは教会組織に反発反抗したりする言動を指す。ちなみに、『アベル側』は文鮮明氏を再臨のメシアと受け入れた者、『カイン側』はそれ以外の者を指す。
ぼくは、土地をとられてもなお。このように思っておられる信者さんに何もいうことはありません。なぜならこれは信仰上の問題なのですから。
つまり、
・世田谷教会の教会長だか経済部長だかに面談され、土地を担保にして融資を受けてもらいたいと話を持ちかけられた
・当時の摂理はなんだかわからないが、とくかく御父母様が摂理を進めるためにお金を必要としているという理由をつけられた
・高額な献金は大変でしょうから、名義を貸してくれるだけでいい、その誠意を実績として真の御父母様(文鮮明夫妻)が認めてくださると言われた
・名義はあなたでも、月々の返済は教会が責任持って返済をする、という約束をした
・しかし、急に教会では肩代わりできなくなった。
↑このようなことだと思われます。
この信者さんは、当時約束を交わした教会や信徒に対して怒っているのであって、真の御父母様に対しては全く不信している様子は見られません。その問題の解決を望むべく、全壮協に泣き付いたものと思われます。
ここまでは、教会内のいざこざだと思います。
ただ、この信者さんが以下の内容を知っていたとしたらどう思うでしょうか?
・事前に信者(壮年、婦人)の不動産登記簿をしらみつぶしに閲覧していた
・はじめから返すつもりはなかった
・最初は借りる方向に持っていき、個別教育をして献金の方向へ転換させるという歴然とした方針があった
・教会が肩代わりするだけの原資も、根拠もなかった
・しかし、腐れ幹部連中は隠し金を持っていた
残念ながら、全壮協とてこのような裏があるとは知らなかったようです。
これが、統一教会の実態です。
ぼくは、当時全壮協と江利川会長が怒鳴りあっているビデオを見てましたけれど、この鼻息が荒いだけの全壮協というのは一体何を考えているのだろう?と思ってみてました。
困っている信者さんを本当に救済するハラはあるのか、と。
正直申し上げて、ぼくは全壮協に対して、カッコつけてんじゃねえよ!と思って見ていました。無性に腹が立ちました。
返せと脅かしてもカネはないんだよ、と。本質がわかってない、と。
逆ギレして机をドンと叩いていた女性幹部にも不快感を覚えましたが、この人も実は内情を知らないんだろうなぁ、とも思ったら急に突き上げられているのが可愛そうになってきたことを覚えています。
いくらなんでも隠し金を持っているような腐れ幹部は全壮協のまえには出てこないでしょうよ。タヌキなんだから。
何も分からない者を表に立たせるのですよ。
全壮協も、そのうち実態を知って、テレ笑いなんかしながら
「いやーまいったまいった」などといいながら自然解散するんだろうと思っていました。
ところが別の理由で全壮協は消滅しました。
よく調べて見たら、内部で不正があったんですと……(T_T)
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