現役統一教会信者:E姉との対話~1999年08月22日
『愛の主体』を教えるのは原理だけ……。女性が本当に解放されるのは、統一教会だけだと思うようになりました。その意味は『愛の主体』です。
おっしゃることは、理解しました。
教会内の男尊女卑や形だけ女性を奉たりしている現状を垣間見て、教会員は
「原理を理解していなか、または実践していない」と感じられたのでしょう。
そのご指摘はごもっともだとおもいます。
そうなりますと、E姉が解放されるためには、愛の主体となった(E姉が思うところの)理想の男性がいない限り不可能になります。
『解放される』という受動的な表現をお使いになっているところからして、女性は(E姉が思うところの)主体があってはじめて解放される、というように受けとめられます。
教会内ではよく、『女性が問題』などという表現を使うので、E姉のような方にとっては、女性を侮辱しているように感じるのかもしれませんが、原理的にいってこの表現は全く正しいのです。
(あ、ぼくは原理が正しいという前提で申しているのはありませんよ)
原理に立脚すれば、女性が問題という表現は正解だというのです。
何をいいたいかといいますと、女性解放を統一教会に求めても無理だ、ということです。
男性に「もっと主体的になれー!愛ある人格をつくれー!」と、求めても意味がないのです。原理的に言うとですね。
原理的には、
『女性が解放される』のではなく、
『女性が解放する』のです。
女性が愛の主体にならない限り、男性は救われないのです。
これが、原理の教えです。
ところで、
たとえアベルの言う事でも納得いかないとハッキリと異議を申し立てる人が増えたそうです。その異端(アベルにもハッキリ言う)者
そういう、アベルに楯突くような者たちに、霊感商法のトーカー、つまり『天啓先生』とか『麗華先生』とか『開天』とかいう霊能者役の先生と呼ばれる責任分担を与えたのそうです。
そうしたら、嬉々として張り切ってやるのだそうです。
アベルに楯突いてどうしようもない、特に女性たちを先生として持ち上げたら、途端に先生らしく振舞って喜んで自発的にやっていたので、それに味をしめた幹部らが、どうしようもなく使いづらい女たちは『霊感先生』役に回した、という背景があります。
統一教会に限らず、組織の中では『肩書き』を与えると行動は変わるものです。持ち上げられればその気にもなります。
現役統一教会信者:E姉との対話~1999年08月25日
あなたがたは教会を批判するだけで『天国建設』のための代替案を持っていないじゃないですか
とのことですが、批判する人の大部分は教義を批判しているのではないと思いますよ。統一教会の『行い』を批判しているのです。
統一教会のやっていることを知らない人たちは
「別に、宗教なんだしぃ、オウムみたいに人殺し集団じゃないんだからぁ、別にいいんじゃない?」みたいな、歴史的傍観者(←統一教会が嫌う人達)
寝ぼけたことをよくいうんです。
それは、同時に統一教会員にも言えるんです。
でも確かに、やり方には問題あったようですね。
何に対するやりかたかは不明ですが、やり方に問題があること自体問題である!とはお考えにはならないのですか?
>『天国建設』のための代替案
統一教会は理想家庭による理想世界を目指しているのですよね?
まず家庭が大切だ、と。
その前に、夫婦、親となるべき個人の人格を完成しよう!と。
(人にいうんでなく、自分でやるということ)
個人が個性完成(人格完成)してから天国を築こう!
という考えを批判する人はいないとはいいませんが、ずっと少ないのではないでしょうか?
もし、統一教会が真理ではなかったとしても、今のところ方向性は正しいから続けよう、と考えました。
意味がよくわかりません。
E姉は統一教会の信仰をしているのではないのですか?
統一教会という名のサークルで活動しているつもりなら、おやぢがとやかくいう筋合いはないようですね。
それにしても、E姉の立場よく分かりません。???
E姉は、統一教会が真理でなくても関係ない、方向性が正しいようだから結局何を続けようとされているのですか?
さて
E姉がかつて「文先生は、本当はメシヤではないかもしれない」と不信した根拠は一体なんだったんですか?
マスコミで言われていたことが、現在は「嘘やでっち上げとわかった」、または「真実だとしても、何か神の意図があったのだろう」とお考えになっているのでしょうか。
それとも、統一教会が真理でなくても、文先生がメシヤでなくても、
「私には関係ない、方向性が正しそうだからついてゆくだけ」
と、お考えになっているのでしょうか?
そういえば、思い出しましたよ。
ビデオ講師で有名な、倉原先生。
あの方は、ビデオだか生講義だか忘れましたが、
「ねえ皆さん。この真理を知ってサ、ボーッとしている人は、あー、ぼくには、とてもとても信じられないんだね。ぼくはね、皆さん。たとえ文先生がメシアでないと告白したとしても、ね。この道を行きますよ……」
と宣言されていましたね。
とても印象に残っています。
でも、それを聞いて「この道って、どんな道?」って思いました。
それから、山崎浩子さんも「みんなが落ちても私だけはこの道をゆく」と言っていましたよね。
E姉。
統一教会にこだわらなくても、脱会しても、E姉の正しい方向性とおもわれる方(この道?)へ行けるとおもうのですが、いかがでしょうか?
それとも統一教会という組織に拘る何か理由があるのですか?
ちなみにぼくは、真理を探究するために献身しました。
統一教会は欺瞞なる組織であることがわかったので、愛想が尽きました。
ぼくも開天先生のように脱会届けを出してもいいのですが、面倒だ、という理由と教会に借財の名義を貸しているので脱会したくても統一教会と縁がきれないのです。
開天先生のように、文鮮明氏や教会の悪口を言うことで自分の行為を正当化する、なんてこと、ぼくには出来ません。
開天先生のようなインチキ低能霊能者が、信者あるいは非信者からばかすか巨額なカネを無心して、対象者の将来のことなど責任も持てないのに、一年後には返すなどと嘘八百を並べたて、債務者の欄には開天先生のようなトーカーの名は一切でてこない、いや、教会の役職、責任者の名前すらでてこない。
債務者になっているのは、末端の信者ですよ。ぼくみたいな。
ですからぼくは法的には多額の負債を抱えた債務者なんですよ。
開天だの白龍だの天道だのというイカレた連中がインチキトークしたあとのケツを拭っているようなものなんですよ。
開天先生には自分で言っているように是非とも白黒ハッキリしてもらいたいと思っています。
現役統一教会信者:E姉との対話~1999年08月31
E姉は、統一教会の美化されたあるいは『虚』の部分しかご存じないのではないかと思います。
もっともこれは、大方の教会員に当て嵌まるものですから、E姉だけが美化された部分しか知らないというのではありません。
かつては、ぼくもそうでした。
私は「これは、きっと祝福の際の告白文を読んだに違いない」と思った
ぼくも今まで告白文は文鮮明氏のみが読むのだと思っていました。
ところが、読んでいたのは
『巡回師という名のおせっかいババア』や『責任者という名の無責任野郎』だったというじゃありませんか!!
確かT君だったか……
「ふん、そんなことも知らねえのか」
と、ぼくの無知をハナで笑っていたのを記憶している。
少なくともT君は知っていたのだ。
でも、ぼくはそんなこと聞いていない。
E姉、これが告白文の真実なのです!
これはトイレの覗きと一緒で、読めばその人の霊人体が傷つくだけだと思った。読んではいけない物なのに……。
読んではイケナイものなのではなく、これは幹部が読むものなのです。
これが真実です。
E姉が「読んではイケナイものなのに……」と思っていることはE姉の勝手な思い込みに過ぎません。
厳格な宗教でなければ完全に世の中を変える事はできないでしょう。
これは、原理的な解釈ではありません。
原理は自身を『成約の御言葉』だといっています。
旧約(行義)
↓
新約(信義)
↓
成約(侍義)
統一教会は『厳格な宗教』などではないはずです。
旧約時代の律法のように「~するな!」ではないはずです。
自己主管を説いているはずです。
侍義(じぎ)の信仰とは
『主体者の情を中心とした生活信仰』なのです。
「~するな!」といわなければならないなら、それは子供レベルでしょう。
良識ある大人に「~するな!」とか「~しろ」という戒律は有益ではありません。
「抑圧」は精神的にあまりよろしいものではないのです。
食口で精神病になる人が多いのは、はたして霊のせいだと思いますか?
統一教会の実態は大母様の戒めから見えてくるのです~E姉へ
姦淫するな
心情蹂躪するな
公金横領するな
酒飲むな
煙草吸うな
……その他もろもろ
原理では『御言葉は心霊と知能のレベルに応じて時代と共に変わる』と説いています。
何度もいいます。
『心霊と知能のレベルに応じて』です。
いわゆる人見て法説け、ですか。
E姉は信じられないでしょうが、大母様がこういうレベルの低いことを言うのは純潔運動を標榜する食口達が姦淫したり、心情蹂躪したり、泥棒したりしているからです。
自犯罪は、この3点ですよね。
原理が正しいなら、食口達のレベルは子供並ということになります。
または、ピントのズレた戒めをしているとしたら、大母様はインチキ霊能者ってことになります。(人を見抜く霊的能力がない)
コメント