旧統一教会元信者の衝撃告白手記(2):西川勝先生と開天先生【転載自由】

おやぢの独白1999
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開天先生と西川勝先生(崔翔翼・崔奉春・崔翔翊)の違い

先日、別冊宝島社「救いの正体」という本を買いました。
西川勝先生と開天先生こと※藤氏の証言を読むためです。
統一教会よ、なぜ変わってしまったのか(西川勝).pdf

西川勝先生の貴重な講義一覧

崔翔翊は韓国の統一教会に1957年に入信した。彼は1958年に渡日し、西川勝と改名し統一教会を設立した。上の写真は1964年7月に撮影されたものである。その年の暮れに彼は日本から追放された。1965年以来在住するカリフォルニアでは「パパさん・チョイ」の名前で知られている。文鮮明により縁組された36家庭のうちの一人。彼の妻である申美植は梨花女子大學校の生徒であったが、文鮮明と共に同大学における「七・四事件」のセックススキャンダルに関わったとして1955年に退学させられた。このスキャンダルについての写真と記事はこちらからアクセスできます [LINK] 。

[出典:統一教会問題と私、及びその未来 – 西川 勝氏]

西川勝先生は現在74歳(1999年当時)、日本にこられた最初の宣教師です。
西川先生の証言を読みながら込み上げてくるものがありました。
当時始まった霊感商法に反対したゆえに煙たがられ、85年には監獄の文先生に会いにいこうと思ったが断られ、静かに教会を去っていく……
40年たった今でも当時伝道した日本の若者の事を案じている、そして久保木修己会長のお別れ会にも
「かつて指導した後輩である久保木氏にひとりの人間としてのお別れを告げに行った」
との事。涙が溢れて止まりませんでした。

あえて、証言の内容は書きませんので、反対派とかいう偏狭な見方をせず、日本に最初の信仰の種をまいた大先輩として敬意を表し、わずかでも西川先生の通過してきた心情を知っていただきたいと思います。
ひとりの人間として、ぼくはそう思います。
現役信者の方は西川先生の証言を是非とも読むべきだと思います。

教会内部でまことしやかに言われていることは
「西川先生が悔い改めて帰ってきました……」
「イーストガーデンにふらっと入ってきた西川先生に、お父様は、『おう、帰ってきたのか』と何事もなかったように迎えたそうです。親の愛ですね~」

何を寝ぼけたことを!

それにしても、西川先生のインタビューを読んで、日本に入国するときの様子というのは、主の路程(文鮮明氏の再臨のメシアとしての路程)で聞いた内容と全く違ってましたね……
西川先生をお見送りしなかったんですね、文先生は。
ホントに脚色が多いんだよな、統一教会は。正直に書けばいいのに。
だからますます文先生が悪者になっちゃうんだよなあ。

一方、開天先生の証言は●岡●策氏などの懐かしい実名も出てきたりして、大変生々しい告白になっていました。
結局は、トーカー団をやらざるを得なかったのは、文鮮明の命令があったからだと結んでいます。仕方なかったんだ、と。
古田元男氏(霊感商法親分会社:ハッピーワールド社長)も命令せざるを得なかったんだ、と。
その下で活動していた開天先生は、純粋に、信者に献金をさせるために頑張っていたんだ、と。
なるほど。開天先生の手記だけを読めば、統一教会の内部にいなかった人は彼に同情するかもしれません。
でもぼくは………

ふざけんな開天!といいたい。

現役の開天先生あるいは脱会後の活動内容を存じ上げているぼくとしては、開天先生の発言には何か違和感がありました。
インタビューの最後に開天先生は、こう言ってます。

「ここぞといえる事はひとつ。霊能士開天先生は死んだという事です。きっぱり白黒はつけます」

脱会してから5年も経つというのに、何をきっぱり白黒つけるというのか?
西川先生の証言とは大違い。ぼくには何も響いてきませんでしたよ。あたかも、インチキ霊能トークのように。

開天先生の語る内容は大変正義感溢れる内容でしたが、ひとだけ本音を漏らしていた箇所がありました。
それは、
「だから、あとから気づいたんですが、結局、相手を騙すようなHG(早く現金の隠語)の方法は、はっきりいっておかしと思ったんです」
霊能士役として活躍していた頃は、理性が麻痺してた、洗脳されてた、とでもいいたい様子である。
文先生も古田氏も責任は取らねばならないが、開天先生も責任は取らねばならない、とぼくは思う。
マインドコントロールされていただの、洗脳されていただのという弁明はぼくには一切通じません。

開天先生、何を白黒ハッキリするというのか!?
開天先生の告白によれば、脱会は1995年となってます。
1995年は大震災があり、オウム事件があり、誰もが心に残っている年でした。
ぼくは、1995年には教会に出入りしていませんでしたが、食口達とは変わりなく交流をしていました。(今もそうですが)
食口や非食口からマルチ商法の勧誘をさかんに受けていた時期でもありました。
その頃、開天先生を中心とする食口一派がジャパンヘルスサミットという、キチンキトサンという健康食品をマルチ販売していたのを知っています。

脱会後はそのマルチを続けているのか何をしているのかわかりませんが、持ち前のベシャリで(しかも医師と騙り)単純な食口、あるいは欲ボケした非食口たちを取り込んでいったのです。
もっとも彼は、開天先生時代から自称医師と経歴詐称していたので、脱会してもなにしても教会を批判してもなにしても、ぼくにとっては信用おけない人物です。

脱会後、マルチをやろうがなにをやろうがぼくのしったこっちゃないですが、現役時代の開天先生をぼくは軽蔑していました。
まあ、開天先生でなくても、天道とか白龍(霊能士役)とかも同様です。
いわゆる、霊感商法のトーカーだのタワー長(霊感商法の司令塔)だのは、ぼくにとって怨讐なのです。

西川先生の人柄が感じられる証言を読んでから開天先生のインタビューを読んだので、同じ脱会者でも天地の差だなと思いましたよ。正味のハナシ。

さて、最後に両氏の違いをまとめておきましょう。

西川先生
笹川氏に無心しなかった。
献金は韓国に送らなかった。
日本の救いの為に使おうと思った。

開天先生
ゲストからカネを出させる為の役割分担。ゲストに無心した。
その為に夜中の2時か3時に神社仏閣を走りまわり祈願した。
決して、そのゲストの幸福の為に、ではない。カネを出させるための祈りである。

で、開天先生が脱会して教会が大慌てしているって?
そんなことぼくの知ったこっちゃない。きっとぼくの知らないもっとヤバイことをやっていたんだろう。
こういう詐欺師のような開天先生をまさか君、教会に利益をもたらした優良食口として脱会した今でも、崇め奉って開天先生様とかいってるのではあるまい?

脱会したとか教会に来ていない者に対しては、君の言動が一番証明しているようにボロクソにいうんでしょうよ。

もっとも、ぼくが開天先生のことをボロクソにいっているのと、教会が言っている背景は全く違うんだけどな。
原理原理とほざくまえに、人の道を学びなさい。

資料:統一協会という堕落「霊感商法」–最強の霊能士「開天先生」の証言より一部抜粋

ルポライター:高山和雄

高山:この時期、いろいろな事件が起こりましたが、その影響はなかったんですか?

開天:ええ。霊感商法が内部的に変わったきっかけは、あの「豊田商事事件」です。
あの事件から公安が次に統一協会をマークしているという情報が入って、即、トーカー団は解散した。
でもそれは偽装で、実際には解散していなかったんですが、とりあえず一時休止で印鑑、壺、多宝塔、霊薬は売らないことになった。
ちょうどそのころ、教祖の文鮮明は脱税でアメリカ・コネチカット州ダンベリーの刑務所に服役していた(注・1984~85年にかけて1年1ヶ月の禁固刑)。
霊感商法という資金源が断たれたから、文鮮明は古田元男という霊感商法の元締め的存在の男を刑務所に呼び寄せ、怒鳴りつけたんです。
「なんで急に献金が来なくなったんだ」と文の逆鱗に触れたわけですね。
古田は、豊田商事事件という大事件が起こったために、警察当局が過敏になっていることなどを説明した。
しかし文に、「壺を頭にのっけてでも売るんだよ、それが日本の救いになる」とハッパをかけられて、また再開することになったんです。
高山:再開の指令は、ミスター霊感商法の古田元男ではなかったということですか?
開天:ええ。よく統一協会は、みんな幹部がやったんだと言うんですよ。
でも、文鮮明が言わないことはできない。
壺を売るのも、多宝塔を売るのもすべて、文の命令なんです。
私が全国の会議などで、幹部に話を聞いてもそうでした。
あの古田だって、基本的には文が言わないことをするわけがないんです。
古田は気が小さいから、文の一筆がないと何もできない。
当時、反古田派もいたわけですからね。
古田は、自分が指揮をとるために、どうしても文鮮明の、いわゆるお墨付きが必要だったんです。
文のご託宣がないかぎり何もできないのです。
したがって、霊感商法は文鮮明の指令がなければありえなかった。
古田がいくらやりたいと言っても、「そんな壺なんか売って……」と、インテリ層の反古田派はいい顔はしない。
そうすると文鮮明から「みんな古田に従え」という指示が来るわけですよ。
実際の権限については久保木修巳(注・元日本統一協会会長)より古田のほうが上なんだから私たちも従う、そういう構造なんです。
逆に文鮮明が言わなかったら、そんなことは誰も認めませんから。

かつて日本統一協会は、12人の局長によって運営されていた。
しかし、そのなかでも全体の人事権を握り、組織を牛耳っていたのは、霊感商法の責任者・古田元男である。
古田は「コマンダー」と呼ばれ、文のいわゆる“傀儡”として権力をほしいままにしていた。
地方の統一協会支部では、古田に逆らい、「統一協会」の看板を企業名の看板に替えなかっただけでポストを外された幹部もおり、古田の権力は絶大なものがあったという証言をする、当時の信者も少なからずいる。

高山:古田元男は、あくまで文鮮明の下の「コマンダー」だったと認識していいわけですか。

開天:コマンダーというのは命令権者という意味です。
これは「文鮮明の代身」、平たく言えば「代理」という意味なんです。
だから古田の言うことはすなわち、文鮮明が言うことなんです。
でも、文の命令をそのまま伝えて命令しているだけですよ。
霊感商法の全責任が古田にあるというなら、それはそのまま、文鮮明に全責任があることを認めたことになる。
統一協会はいつも防波堤を築いたつもりで墓穴を掘ってしまう。
古田に本当の意味での人事権があるわけがない。
任命したり命令したりできるのは文鮮明だけですし、クビにできるのも文鮮明だけです。
その証拠に、文鮮明の言うことを古田は拒絶できませんから。

高山:やはり本当の司令塔は文鮮明とういことですか?

古田は教祖の意向を下につなぐパイプ役にすぎなかったと。

開天:韓国人の幹部は経済的な援助には弱い。
初期の幹部といわれている人たちは、統一協会の組織には飽き飽きしているけれども、結局、金にすがってつながりを切れない。
経済的な支援は手枷足枷になるけれども、教団運営にとっては大切な支えになるからです。
幹部でも「文鮮明はメシアだ」なんて本気で思っている人は、おそらくほとんどいないと思います。
側近の朴普煕でさえ、そう思っているとは思えないふしがあります。

FBIの調査資料によると「文鮮明がタンベリー刑務所にいたときに、朴普煕が巨額の資金(当時の日本円にして約17億円)を支出しており、その背後には統一協会の内部紛争があったと報告されている。
文鮮明の夫人と朴普煕が許可を得ないで文鮮明の金を勝手に運用していたことを、もうひとりの側近である郭錠煥(カク・ジョンファン)が服役中の文鮮明に伝え、文鮮明が激怒し、返却を命令したという報告もある。

高山:これは一部の信者も知っていたことですか?

開天:あとになってわかったことですが、文鮮明は、いちばんの側近の朴普煕がまさか組織の金を勝手に運用しているとは信じられなかったわけです。
この件以来、人間不信に陥った文鮮明は、身近な人間でさえ信じられなくなったといわれています。
それでまず、朴普煕に隠したお金を出させたのはもちろんのこと、事件の裏付けを取るために、郭錠煥を使って、事故死した文鮮明の四男、文興進の霊が取り憑いたというアフリカ人のクレオパス・クンディオナという人物を「ブラック・フンジン」と称して連れてきて、神霊による裁判をやって自白させた。
「コンフェッション(告白)」という「自白」の儀式でした。
ブラック・フンジンを操ってコンフェッションさせたかったいちばんの目的は、文がもっとも執着しているお金なんです。
文鮮明は、自分の金をみんなが勝手に着服して使っているという疑心暗鬼にとらわれていました。

高山:100%本当のことを言っているのかわかりませんが、クンディオナも統一協会を辞めてからいろいろ発言しているようですね。

開天:彼は、公金をどれだけ横領したのか明らかにさせなきゃいけないということで、アフリカで興進君の霊が憑いた人物として利用されただけです。
公金問題、異性問題、不倫問題を告白させたんですが、もっとも文が執着したのは公金問題なんです。
このコンフェッションのときに、朴普煕は頭蓋骨が陥没するほど殴られて大怪我を負いました。
文鮮明という人間は結局、そういう残酷な人なんです。
幹部でさえ文鮮明をメシアであると本気で思わない者が多いのは、こうした理由からです。
12双(組)という、日本のごく初期の幹部は、「お父様は結局、朴先生らを信頼できなくなった」と言っていましたが。

[出典:別冊宝島社救いの正体]

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