人間の責任分担遂行如何によって歴史は変る
原理では、人類歴史は失敗の歴史なんだと主張している。
本来は地上天国から出発したはずなのに、エバの堕落(責任分担不履行)によって地上地獄から出発したんだ、と。
故に本来の地上天国に復帰するためには失敗した逆の経路をたどらなければいけないという。(※地上天国の最小単位は家庭)
そのために神の意志によって定められた「中心人物」や周辺の登場人物が、神の摂理により果たさなければいけない責任分担があったのだ、という。
原理のいう復帰摂理の中心人物とは
・アダム
・ノア
・アブラハム
・モーセ
・イエス
である。
ちなみに、アダムさんちの摂理では、長男カインと弟アベルが心一つになって、母ちゃんのエバは母子協助(母の子に対する摂理推進のための協力)をして父ちゃんのアダムはオヤジとしての責任を果たさなければならなかったんだ、という。
さて、結果はどうだったのだろうか?
聖書に書かれているように長男カインが弟アベルをブッ殺してしまった。
まことに悲惨な家庭である。
殺人の動機はカインのアベルに対する嫉妬だ、という。
故に、アダムさんちが地上天国の雛型をつくるためには、どんなにキレそうなことがあったとしても、ここはひとつグッと我慢してムカツク野郎を愛して許して心を一つにしなければならなかったんだ、という。
ただし、それは人殺しカインに対するものであって、その前に母ちゃんのエバは兄弟中睦まじくできるようなお膳立てをしなければならなかったし、アベルはアベルで兄ちゃんの気持ちをわかってあげなければならなかったし、中心人物である父ちゃんアダムはすべての責任を負っていたので、結果的にアダムが責任分担を果たせなかったという結論になるのである。
そんなこと、後からいわれてもなあ……と普通は思うけれどこれが原理の主張
する神の摂理なのだから仕方ない。
(後からだったらなんでも言えるものだよと思うのはぼくだけだろうか)
では、エバは何を以って失敗したというのだろうか。
それは、天使長ルーシェルとの霊的性関係だというのだが、それ以前に霊的性関係というのがこの世のものではないので、ぼくには実感がわかない。
(教会員から堕落しちゃってるからワカンナインだよおまえには!なんていわれそうだな)
でも、霊的性関係とは何か?をわかりやすく一般大衆に説明できる現役教会員なんてどこにもいないんだよなあ。
ぼくなりに非教会員の皆様に対してわかりやすく表現するとすれば、
やらなくっちゃナラナイことをやらないで—-①
やっちゃあイケナイことをやっちゃった——②
ということになる。
さらに具体的にいえば、
人格完成のために努力もしねえであそび呆けてやがって—-①
ハタチになるめえに童貞処女を捨てっちまいやがったよ—-②
ということなのだ。
ただし、現在の文鮮明先生のご家庭だけは例外なんである。ご存知のように、
信者から慣習的に真のお母様と呼ばれる韓鶴子夫人は1944年生まれ、1960年 4月に満16歳でご結婚。
※ここでは深いことは考えないようにしましょう……(~_~;)
ノア家庭・アブラハム家庭の失敗
元に戻って。
アダムさんちが失敗しちゃったので、今度ぁ末っ子セツの子孫;ノアに摂理が移ったのであります。
ノア家庭では母ちゃんがどんな人なのか聖書には詳しく書いてありませんが3人の息子たちがいたのは分かります。
結局、息子ハムが、酒に酔ってすっ裸で寝ているオヤジの『象さん』に着物をかけたんで摂理は失敗したんだ、そうです。
ハムは裸で寝ているオヤジの『象さん』を見て
「すっげーはっずっかしー、このクソオヤジめ!」
とかなんとかつぶやいて、汚いものをみたくないってんで、目をそむけて後ろ向きに近づいてオヤジの『象さん』を隠したというんですな。
この想いと行為が失敗なんですと。
つまり、恥ずかしい想いちうのは堕落前は裸でも恥ずかしいと思わなんだが、堕落後は恥ずかしくなって秘部をイチジクの葉っぱで隠したという行為が堕落性を再現してしまったというんですな。
つまり、堕落人間を自ら証明しちゃったというわけです。
でもホントは、口では憎まれ口を利いていても心ではオヤジのことを想ってやったのかもしんないのに、なあ。
たけしなんかみろよなあ、「クソばばあ早く死ね」なんていいながら一番の母親ッ子だったりするんだからなあ。
じゃあ、すっ裸で寝ている酔っ払いオヤジにどう対処すればよかったのか?という謎がある。
○無視するってえのもなあ、これじゃ家族の愛がないのを表していることになるから理想の家庭は築けないだろうし。
○ハムの一連の行為も、なんとも想わずただ機械的に腹を冷やさないように毛布などをかけた……ってえのも愛がないよなあ。
○オヤジの『象さん』は俺の理想だ、とかなんとかいいながら惚れ惚れとしてずっと見ていたいのだが、お腹を冷やすといけないので、そおっと優しく毛布をかけた……うあー、こういうのはかえって異常な父子関係でないかい?
だから一体どう対処していたらノアの家庭は勝利したっていうのか!?親方。
原理講論にはあからさまに書いてないから、ぼくのあらぬ妄想を激しくかきたてるのであった。
さて、ノアの家庭も失敗し、次はアブラハムの家庭だ。
その後もアブラハム自身がいってるそばから失敗し、イサク、ヤコブでひとまず勝利、つぎはその勝利の土台の上にモーセが登場とあいなる。
いままでの摂理は家庭的だったが、今度ぁモーセは民族的摂理なんだ、という。
モーセも癇癪を起こして、摂理を失敗したが、次に控えるイエスは世界的カナン復帰路程を歩むことになるのである。
で、現代の再臨主は歴史的な中心人物が果たし得なかったすべての道を歩み、勝利しなければならぬ使命があるのだという。
つまり、最小単位の家庭レヴェルでいうと、その家庭はお手本となるような人類の理想家庭であらねばならぬのである。
ただし、現在の文鮮明先生のご家庭だけは例外なんである。
※ここでは深いことは考えないようにしましょう……(~_~;)
信者が天地父母様!とお慕いする文鮮明先生ご夫妻は、想像を絶する血と汗と涙の路程を歩み完全に勝利されたのだ、そうだ。
それを信じるか信じないかは信仰の世界のことなので、あえてツッコミは避ける。
み旨成就は絶対的なものではない
現代の再臨主の家庭に関しては「いわしの頭的信仰」でないと受けとめられないが、原理講論に立脚して歴史を紐解いてみると実に興味深い結論が導き出される。
以下、現役信者B氏の投稿を引用します。
原理講論の前編(第6章)に書いてあるように、み旨の成就は絶対的なものとしては予定できないんだから(人間の責任分担があるため)結果としてメシヤ降臨準備時代とメシヤ再降臨準備時代は同じ期間になったんだけど、途中でもちろん再臨のチャンスはあったんだよね。
原理講論に書いてあるだろう?
同時性を表現するのに2つの説明が書いてあるが一つは史実を中心とする同時性、も一つは代数年数を中心とする同時性。年数のことをいっているんだったら、これは12数、4数、21数、40数の数の完成期間を蕩減するんだから、12や4、21、40数に相当する期間が必要なんであって、必ずしも210年とか400年である必要はない。(たとえば21日とか40日でも条件的にクリアできる場合も考えられるよね)
メシヤ再降臨準備時代はメシヤ降臨準備時代と同じ失敗を踏襲してしまった結果同じになっているに過ぎない。もちろん摂理的使命者が勝利すればもっと早くメシヤが誕生したでしょう。
メシヤは本来、王の王として来るんだから、一庶民としてくるのでなく、王家の中に生まれてくるのが良い。
もしメシヤが王子として生まれてくれば、その王子が王として即位した日がそのまま主権復帰、神の国が復帰された日だ。モーセなんかも何もエジプト人を叩き殺さなくても、ちょっと静かにしていれば、エジプトそのものが神の国になった。まあ叩いて殺しちゃったんだからどうなるかというと、摂理が変更になるんだよ。しょうがないじゃないの。ただ摂理の本質は信仰基台と実体基台なんだから、そんなややこしいことになったとしても、モーセが信仰を失わずイスラエルがモーセと一つになったならば、メシヤのための基台が成立するんだから「出エジプト」ということになった。
これは結果としてそうなっただけであって、第1の予定ではない。
いかがでしょうか?
人間の責任分担遂行如何によって歴史は変るというのです。
未来は中心人物の行動如何によって変るというのです。
過去にモーセだのノアのせがれだのが勝利していたら文龍明という人物は生まれてなかったかもしれないのです。
というより、文先生がメシヤなのかどうかはまだわかりませんよ。
なぜなら、歴史の中心人物は自分のことを中心人物などとは全く思ってもいなかったはずですから。
アダム、ノア、アブラハム、モーセも、あとになって彼らが「中心人物だった」と天倫の秘密を明らかにしたのであって、最初からわかっちゃっているんじゃあ神の摂理にはなりません。
信じられない状況を信じていくからこそ、神への信仰が必要になるわけです。
故に、神の摂理がバレてしまったら信仰は関係なくなります。
それこそ、意味なーいじゃん、です。
ただし、熱狂的信者からいわせると、
「霊界へいけば文先生がメシヤだっちうことがわかるんだ!」
そうです。(もちろん原理講論にはそんなこと書いてない)
ところで、霊界ちうところは時空を超越しているのだと原理は主張しています。
上記の内容から以下の内容を導き出すことができます。
・霊界は複数の過去と未来が存在している。
・複数の霊界が存在している。
ならば、
霊界で文先生をみて(文先生がホンマモンのメシヤとしたら)
「あ、この人、メシヤだ!」
とわかる霊人は失敗した過去を俯瞰した結論として認識するのだろうか?
一方、アダム家庭の摂理が成就した過去を見た霊人においては、文先生に対して「このしと誰?」などと現在のメシアであらせられる文先生に対して甚だ無礼な認識をしてしまうことになる。
あるいは、文先生が16歳のときイエス様の申し出(あなたに再臨主の使命を果たして欲しいとの託宣)を断っていたら、現在のような文先生の勝利?はなかったのだろうから霊界解放とか先祖解怨とかいうのは文先生をメシヤと認識している霊人が解放されるのであって、もしかしたら霊界解放自体を必要としていない霊人もいるかもしれない。
エバちゃんが堕落しなかった歴史も存在しているはず。
神はアルファーでありオメガである。神ははじめでありおわりである。
人類の堕落を悲しんでいる神もいれば、エバが堕落しなかった地上天国を眺めながら、わっはっはっはーと毎日喜んでいる神もいる。
また、文先生のお陰で地上天国が完成しちゃってそれを見て喜んでいる神様もいるのだろう。
……ということである。
果たして、神は喜んでいるのか悲しんでいるのか?
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