旧統一教会元信者の衝撃告白手記(36):アベル&カインの原則【転載自由】

おやぢの独白1999
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アベル&カインの原則

[おやぢのメルマガ:1999/11/15 Vol.018 より]

日本式カインアベル原則といえば、文先生は
「日本のカインアベルは間違っているよ」とおっしゃったのでしたね。

つまり、日本統一教会というのは会社組織のようであって、アベルは上司、カインは部下という関係で兄弟愛を中心とした心情組織ではない、と。

「日本は間違った信仰観を持っている」とズバリ指摘しているのである。

それ以降、アベルの立場にいるところの
「カインはアベルのゆーことをだまって素直に聞くもんだ」
「俺様を愛して仲保として屈服せよーーー」
「ぼくちゃんの方がアベルなのに、あいつ頭(ず)が高いなあ」
「ワシはお父様のみがわり、いや代身であーる」
「おれもとうとう隊長になったゼ。うーm、我ながら出世したもんだ」
「一兵卒はこづかい一万円だが、責任者になると経費がたーっぷり使える。そりゃ当然だろ、アベルとして苦労してるからな。さ、昼寝しようっと」
「よーし、今日はカプリチョーザであのカイン的なおやぢ兄と和動という口実で昼飯にすっか。で、明日の夜はマザーたちとカラオケで慰労会でもしよう」
みたいなことを思っている勘違い舞い上がり野郎でさえ
「日本のカインアベルは間違っている」などと説教していたものだ。

で、一般信徒たちは
「やっぱりお父様。日本の現状をわかっておられる!」などと、ずいぶんこころを慰められたものでした。
ええ、あくまで慰められただけであって改善はされませんでしたよ。
舞い上がっているやつには、いくら文先生の御言葉でも無力なのです。
それからだな。教会に愛がなくなっちまったのは……

一般信徒にとっちゃあ、勘違い舞い上がり野郎を見るにつけ
「嗚呼、おかはいさうに」
と、腹のなかで舌を出しながらも表面アベル的に装う人が多くなっていったもんだ。
こういうのを、無関心というのです。
「歴史的傍観者にならないぞーーー!」
と主のセミナーで誓ったにもかかわらず、傍観者になってしまっている。

なぜ、そういう奴にガツン!といわないのか。
言えないなら、なぜ組織から抜けられないのか?
不思議だ。

キレてる女

「勘違い舞い上がり野郎」のことは教会におられる皆様にとって毎度お馴染みのことと拝察いたします。
でも、そういう方と同じ位「勘違い舞い上がり野郎」を批判してヒステリックになっておられる煮ても焼いてもくえない面々がいるのです。

以下、ぼくの体験から。
その姉妹はいわゆる霊的だ(教会用語辞典によればキレちゃってる)と噂されている人でした。ちょっと見は林葉直子さんのようなお顔立ちをしておりました。
ある部署でいっしょになったおり、彼女とワークのことで会話をしているとき急に顔つきが変わり目が釣りあがってきて、何かさかんにわめき出しました。
よく聞いてみるとぼくのことを言っているようなのでした。
要約しますと
「あなたはアベルカインの原則がわかってない!」
ということだったんです。
なしてなして?と思いながら言い分をよーく聞いていくと、彼女は明らかにぼくの立場をアベル、自分の立場をカインと思いこんでいたのです。
つまり林葉直子似の彼女はぼくのことを「勘違い舞い上がり野郎」と思いこんでの発言だったというわけなのです。
文先生の御言葉を盾にとり、
「アベルならアベルらしくカインを愛しなさいよ!」
とでもいいたかったのでしょう。

ま、優しいことばをかけてもらいたかったのでしょう。愛されたかったんでしょうな。ダメだよおやぢにほれちゃあ……
(うへぇ、あのキレた顔を見てしまったらいくらお人よしのおやぢでも愛せないんだってば)

彼女がなぜぎゃあぎゃあわめいているのか理由がわかったので、おもわず
「あんた、誰に向かってモノいってんの?」
と言い放ちました。
……一瞬の沈黙の後、さらに火がついたようにわめきだしました。
こ、こわかったです。

言ったあと、「あ、こりゃまずいや」と思っても取り返しがつかない状況になってしまいました。
そりゃそうですよ、ぼくのことを「勘違い舞い上がり野郎」と思いこんでいるのに誰に向かってモノいってんだ発言は、ますます彼女をキレさせるでしょう。

日頃から言葉の足らないおやぢです。
会話はできるだけテレパシーで済ませたい。
それが無理ならやまがだ弁を共通語にして欲しい。

道で知人にあっても「どさや?」(訳:これからどちらへ行かれるのですか)
「えさ」(訳:これから自宅(いえ)に戻るところです)
「んだがしたぁ」(訳:ああ、そうでしたか)
「んだらな」(訳:それではこれで失礼いたします)

こんなんで済むし、語彙はすくなくてもイントネーションの変化で感情を十分にあらわすことができるんだよなあ。

閑話休題
話がややこしくなったので、その場を退散(避難)してきました。
で、ワンクッション置いて電話を入れてみましたが、話にならないんです。
結局、彼女からぼくは「勘違い舞い上がり野郎」と思われてしまいました。
弁明するのもなんだかかったるいので、そのままにしておきました。

ところが後日、彼女の父親がぼくにアポ無しで会いに来ちゃったんです。
(父親もバリバリの教会員)
ご丁寧にも、ご指導といったところでしょうか(~_~;)

「あなた、うちの娘にこんなことをいったそうですね」
「え、ええ」
「あなたはアベルカインとはどういうものか知っていますか?云々……」

ひとしきり、親父の能書きを拝聴したあと、アベルカインに関するぼくの考えを申し伝えました。『誰に向かってモノいってんだ発言』の真意も伝えました。

つまり、この言葉のなかには
「あなたとわたしは兄弟姉妹という関係であって上も下もない。そういう立場同士でありながらぼくを無理やりアベルという虚構の位置に追いやり、自分を被害者であるカインの立場と思いこみ、さらに感情のおもむくままに言葉を投げつけるのはいかがなものか。利害関係も上下関係も労使関係もない、ただ統一教会に属する者同士がたまたま同じ空間にいて会話を交わしただけであって、信仰的な観点からいえば兄弟姉妹(隣人)関係以外のなにものでもない。そういうことを認識したうえでぼくに能書きをたれているのか」
これだけの意味がこめられていたのです、と。

それを聞いた能書き親父はみるみる恐縮した顔つきになり、愛想笑いを振り撒きながら
「あ、あは、あははは。そうだったんですか。あは、なるほどなるほど」
「じゃ、わたしはこれで……」
と帰っていきました。

「アベルカイン原則」ひとつとってみても解釈は食口の数だけある。でも、こうなってしまったらだれが正しいとかいってもはじまらない。
統一教会の組織とはそういうもんだ、と納得するしかない。

あ、あいつは「勘違い舞い上がり野郎」だなとか、彼女は「他己アベル押上型排他的被害者カイン妄想」だなとか推測してから会話をしないと話を合わせられないようだ。

ある現役教会員が以前投稿していたように
「教会は愛を実践するところであって、愛を求めるところではない!そういう奴は既成教会へ行け!」
といわれても、実際教会に愛を求めている兄弟姉妹が沢山いるのは歴然とした事実なんである。

このキレてる女のように。

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