旧統一教会元信者の衝撃告白手記(40):シリーズ~血分けの真実を探る(3)【転載自由】

血分け問題
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血分談義@公民館/河内のおっさんと大いに語るの巻

1999/12/28

いいやあー、どもどもどーも
最近、アッチの方はどうですか。あははははははははは、はあーあ。

統一教会は他の教えと何が違うのかと言う点それは祝福による血統転換であ~る

なるほどなるほど。(ズズーッ)
統一教会の専売 んぐ 特許のようなもんですかな。(ボリボリ……)
まあ、これがいっちばんの信仰の本質でしょうな。(ゲフッ)
統一教会の特別講義なんかでは心情転換とか云ってますな。(クワーッ、ッペ)

文先生の女性関係は神の命令によるものであるということを聞いてアホらしいと思い、さめてしまう人

どっかの踊り子さんと同じで、お手を触れないで……、あ、いや寄るな触るな見るな覗くな!といわれ我慢に我慢を重ねてきたんですしな。統一教会の若いもんは。そりゃあ若い人には刺激的なことでしょうからなあ。(シー、ハー)

そのような行為が神からの命令によるものであると本当に疑いなく信じる方向神は当然メシヤの血統をこの地上に多く残したいと考えるに違いないし、文先生に対してそう命令されてもおかしくはない

心情転換とは云っても、現実に王族圏と皇族圏におわします方々は事実として文先生の『種』なしには存在していないのですからな。
ま、どっちのタイプにせよ、おっさんの前提には、文鮮明先生は複数の女性関係があった、ちうことですな。

これが今の時代、実際に文先生を中心として行われているとした 場合、(食口として)どう受け取るか、でしょう。文先生は神の命令によって女性と関係していると言うことを本当に受け入れたとするなら、私たちは神という存在、それから原理で言うところの神の御旨といったことに対して認識を新たにせざるを得なくなるのではないでしょうか。

んー。わだすは別に文先生が複数の女性と関係しようとなにしようとあまり問題にしていないんですな。
『タマルの信仰』を持ち出すくらいだから、神の摂理ちうのは世間的にみて不倫なる関係もあるだよ、と教えてるわけですな。

ただ……(ズズーッ)

聖書に出てくるこの手の女ちうのは、女の側から行動をおこした(仕掛けた)んであって、相手の男が神の命令だかなんだか知らないけんど、そいでもって手前の嫁とヤッちゃったりしたんじゃあないんですな。

単にタマってたもんを抜きたくて娼婦を買っただけなんですわ。
終わった後によく見たら嫁だった、ちう間抜けな話ですな。

マリヤさんなんかもほれ、ザカリヤんとこへ夜這いしちゃったわけでしょう。文先生の説教によるとねえ。

ところが!ですな。
現代の摂理においちゃあ、第一のお母さまも第二のお母さまも今のお母さまも、自分からお膳立てして一緒になったわけじゃあないんですな!
鶴子さまなんか面談されてすぐ嫁にと云われたわけですしな。まだ16のおぼこだったちうじゃあないですか。

それまで母親に男どもから隔離されて育てられたっていうし、まさかナニをどうするなんてことは一切頭の中になかったわけでしょうよ。
それに新婚生活ちうても、階段下の納戸みたいなところに住まわされて先生のお呼びがかかるまで先生の部屋にも入れなかったちうじゃあありませんか。
どう考えても文先生が主導権を握っていたわけですな。

そうなりますとな、おっさん!

文先生を中心とした現代の摂理ちうのは、これつまり、女性の信仰というより文先生の神への信仰が主体であると、こうなりますな。
タマルの時代とは摂理がちょと違うということになりますな。
でもそれが本当に神の命令かどうかは誰にもわからないんじゃないですかねえ。神の命令というよりも、文先生の原理に立脚してそのような行為をなさっているのではないですかねえ。

で、わだすが思うに食口のタイプちうのは
1:文先生は三人の女性以外、ずぇーったいヤラシイことはしていないと信じている
2:複数の女性との関係はあったとは推測しているが、あまり考えないことにしている
3:複数の女性との関係は事実として認めているが、若い衆がやる気なくすといけないので封印工作している
だと思いますな。

一くくりにしちゃうと、その件には触れたくない考えたくない、ちう人が多いんでないかな。
問題は、その事実を隠しているということではないんですかな。
世間一般の人はもちろん批判するでしょうし、今まで組織にいたタイプ1の食口がつまづいて離れても仕方ないんではないですかな。
そういう食口を騙し騙し組織に繋いでおくよりはおっさんの言うように正しい信仰を持った食口だけが残ればそれでいいのではないかと考えますな。わだすは。

イチハチ夫人の手記

7年位前、斉州島の修練会に参加したころに、世間では告白本が出たりしていて、血分けその他の問題が社会でとりざたされていたと記憶しています。
わたしはその修練会の感想文に、
「具体的な証言もあることだし、全くの事実無根ということはないのではないか。あったならあったと認めてもいいのではないか。それだからといって、信仰になんらかの影響があるとは思えない……」
というようなことを書いた覚えがあります。
ただ、これは神の命令だったのだと信仰的に厳かに受けとめるというのとも違っていたと思います。
ある本からの引用ですが、
「芸術家肌で観念的な世界を作るのが得意な人は、どんなに統一教会のウソをみても、その人しか入れない心の迷宮に戻ってしまって信仰はゆるがないという困難がある」
このタイプに近いと思います。
当時はすでにだいぶ教会から距離をおいていましたが、頭のなかではまだ信じこんでいるようなところがあって、マスコミ等が、血分け血分けと鬼の首をとったようにさわいでいる理由がまったく理解できないわけです。
血分けがあったとしても、再臨主ではないという証拠にはならないと思うわけで。
血統転換の講義の内容を、心情だけでなく肉体をも使って具体化しただけであって、と。『マインドコントロールの恐怖』をじっくり2回も読んで、教会は確かにこういうことをするし、そのような作用があると認めても、再臨主だったらいいのではないかと思えるわけです。
親は小さい子供を育てるのに、脅しやすかしや騙しは日常的に行うわけであって、と。
その頃は、教会への信仰はもう末期症状で、素の自分にもどろうとして、否定したくてもなかなか抜け出られない心理的タコ壷状態でした。
否定しようとすると、長いあいだ信じてきた自分の中で葛藤が起って、緊張が強すぎて動きがとれなくなるのです。
ですから私は、偽装脱会の逆をやって、自分自身をだまし緊張をゆるめて、その間にできるだけ遠くに離れるというようなことをしました。
偽装脱会の逆とは、本当は脱会するのだけど、自分はまだ原理にいるのだがこのままではだめだから、もっと原理を深く理解し宗教的になるためにいろいろな本を読むのだ、とうわべは考えるようにして、その間に緊張に耐えられる内的な力をどんどん蓄えていったように思います。

教義の解釈について

『祝福による血統転換』あるいは『祝福』というのは原理と他宗教との決定的な違いだとぼくは見ています。
逆に、統一教会の伝道師なら、インチキ占いなどのまどろっこしい導入をしないでズバリ!血統転換を説けばいいと思っていますよ。
そうすれば、統一教会側からみてキチンと分別されます。

宗教が嫌いだったり教祖に相手を決めてもらいたくない人は、参加できないようにすればいいんです。
来年まで4億双を祝福しようとしているようですが、そもそも数を全うしなければならないこと、しかもその数は既に霊界から準備されているので、出来ないというのは統一教会信者、特に祝福を受けた者の責任分担不履行である!などと決め付けられることが疑問である。

結局、受け取り方の違いだと現役教会員は簡単にいうが内部にいれば食口の、原理や文先生の説教に対する解釈あるいは受けとめ方など、千差万別であることがわかるはず。

では、一体どこのどいつの受け取り方、解釈が正しいのだ!?どう考えてもそれは、文鮮明氏の解釈が唯一正しいとしかいいようがないではないか。

たとえば、神に熱心に祈ったら答えがかえってきて、「文鮮明氏のそれとは違った」などと言ったひにゃあ、「おまえズレてるよ」と言われるか「サタンが入った」などといわれてお仕舞である。

統一教会内で、「まあそれは解釈や受け取り方の違いですから」などと割り切って、あるいは徹底した議論をしてみ旨を進めていっている、なんてところは聞いたことも見たこともない、というかそんなことは統一教会では絶対ありえないことである。

結局、なんだかんだ言っても、『文鮮明信仰』をしている者が正当派統一教会信者なのではないだろうか。
もしそうではない、などという者があればその者は『分派』や『落ち食口』などのレッテルを貼られるのであって、統一教会には不必要な者なのである。

原罪の清算について

また、私たちの原罪を清算する祝福は、イエス様が『「おまえの罪は赦された」と言う事と「起き上がれ」と言う事とどちらが簡単か』と民に問われ、「起き上がれ」という言って奇蹟を起こされる点で、イエス様ご自身にも「罪を赦す」力がおありだった。再臨主である文先生にも、「罪を赦す」力がある。考えられると思います。このため、血分けなどの実体的な性交を必要とせず象徴的に罪が赦される点と考えます。ここでの『赦し』は自犯罪に対する『赦し』であって、原罪に対するものではないと思います。

再臨主たる文先生の最大の使命は『霊肉共の救いの完成』であることはいうまでもありません。
原理によれば、霊的救いとは『霊的にサタン不可侵圏にある状態(救い)』であり、これはイエスさまの時代に成されたとしています。
ぶっちゃけたハナシ、肉体はサタンに奪われて(死んで)も魂はサタンに奪われないよってこと。

肉的救いとは、『肉的サタン不可侵にある状態(救い)』であり、霊肉共の救いとはつまり、心に魔の入る余地もなければ肉体に指一本も触れることのできない無原罪の創造本然の神の子状態であるわけです。

ところで、『原罪』とは人類始祖の堕落つまり淫行によって、子々孫々に受け継がれてきたものです。
しかもその媒体となるのは性交です。
堕落の血統はノーマルでだろうがアブノーマルな性交であろうがそれによって綿々と受け継がれてきたものです。
したがって、再臨主たる文氏がいくら「赦す」といったところで原罪は清算されるものではないと考えます。
教会内でよくいわれる「恩赦」とは、自犯罪(教会の戒律違反)に対する赦しであって、原罪の赦しではありません。

【おやぢの結論】

このため、血分けなどの実体的な性交を必要とせず 象徴的に罪が赦される点と考えます。

イエスさまあるいは文氏のお赦しの言葉によって霊的には救われたにせよ、肉的救いはお赦しの言葉では無理です。
血統を残すには性交することが不可欠なのです。
イエス様も結婚=肉的救いを成せずに亡くなりました。
イエスさま直系の血統はのこらなかったのです。
そこで再臨主たる文氏はイエスさまが為し得なかったことを成さなければならない、つまり結婚して子孫を残さなければならなかったのは当然のことであります。
ですから、原罪清算は > 実体的な性交を必要とせずという考えには決して至らないのであります。
統一教会の三日儀式が紛れもなく性の儀式であることがそれを証明しています。
表現はどうであれ「血分け」はあったと考えるのが自然なのです。
血分けというのがおどろおどろしいというのなら、
「御交接」
「御精分」
「御筆卸」
「御聖交」
「御情交」
「御種付」
「御初交」
「御目合」
……
など表現はいろいろあると思うんです。

『三日儀式』は『血分け』よりは抵抗ないけれど、よくよく考えてみると儀式という言葉にはなぜか淫靡なものを感じてしまいます。
『ピュアラブキャンディー』なんていうのも、なんだかエロ大衆誌の広告に載っているようなネーミングなんだよな。
だから、血分けを「御目合」とかに変えれば教会員もなんだか三日儀式よりもよさそう、なんて思うかもしれません。
もちろん読み方は「おんめあい」にしてください。
「おまぐあい」だと、ちょっとその、お下品な感じがしますもので。(誰だ!「おめごう」なんて読んだ奴ぁ)

付記
777のIさんから貴重なご意見いただきましたので紹介します。

「まさにおやじ様の言うとおりです。付け加えるならばその三日儀式のとき1日目は文氏に行ってもらって、文氏の子を身ごもった奥様を得られれば救いは完璧です」

「自分の事は言うまいとおもっていたがおやじ様のついでにチョコット、私、このことでホセア書を読んで涙ぐむようになってしまった、自分が過ちをしたのではないと思いながらも、いままでの書き込みも他人の事ではなく私とその相対だった人とのことです。皆さんも、血分けとか、淫乱教だなどといって他人事のようにおっしゃていますが、自分に降りかかったことがないからでしょう」

「ある人が祝福され3日のとき1日目をある韓国の先生に持っていかれてしまった、そしてその人はショックで2日目以降をほうきしてしまった。だからホセア書をよむんだよ」

……やっぱ奥が深いんだなあ。

噂の真相

・掲示板に寄せられた情報

ある神父さんに、禁書目録にあるダンテなど読んだ事はないのでしょうね。
と尋ねたところ禁書目録に載せた人はみんな熟読したはずだ、だから私も読んで見たなかなかすばらしい本だ、だが一般信者には薦められない禁書になった理由もそこだろう、というような話をした事があります、カトリックも1つの組織だしその事情もあることでしょうしかし若気の至りで真理、真実を追究し始まると熱くなり静かな信仰を邪魔する事になってしまうのでしょう。

あちこちで、得意げに言われているザカリアのはなしもキリスト教歴史の上で問題になって公会議の議題にもなっていますが組織として政治的判断の下沈められていただけで統一教会がはじめて発見したわけではありません。

同じように、成約の救いの真髄も沈められつつあると思います、わたしがどうしても納得行かない事の1つが復帰の”体恤”と(反教会派が血分けといっていることです)、聖潔の摂理とやら何とかキャンディーの関係めちゃくちゃでしょう、整理がつきますか。?

韓国の信仰では実体のメシヤがいました。
実体を持って”体恤”を行ってきました、あとの仕上げの儀式が結婚式です、ただ形だけです、にほんでは”体恤”がなくて形式だけです、おのずと信仰も違うものとなるでしょう。

ついでに言いますと3位基台これも”体恤”でむすばれた関係ですだから子供のやりとりも可能なわけです。
あとくだらない話ですが誰ちゃんは私が声をかけたのだから、センターにつれてきたのがわたしだからわたしの霊の子よ、などというまえにだれが”体恤”をしたのかを問われるべきです。
いまは、沈められたかその途中か知りませんが、これがイエス様の本当の父親はだれかというはなしです。

先々月日本人国家メシアがブラジルに集められた際に金鎮文氏、ソーだよこの掲示板見ている井上◎之さん!アンタの息子の義理のオヤジ!!が講義している。
いくら内輪向け、オフレコだったとはいえ公的に教会が主催する場であかされた初めてのケース。
内容は文氏が6世代(20~60代、数が合わない10代も入っていた?)を代表するそれぞれ1人ずつ計6人と第1次7年路程のあいだに関係を結んだとのこと。
ただし1人1回こキリ! その中には催元福女史もいて1回こキリの関係でできてしまった?のが近頃取りざたされている朴ボーヒー氏の末息子として育てられた文サムエル氏。
なんでも神様ははじめ、12人の女性と関係を結ばれることを命令されたが文氏は悩みぬいた挙句神様に(もちろん直)談判し6人にまで数を減らしてもらったとのこと。

わ~いっ!!! ついに日本人食口もこういった内容を受けるだけの信仰を持つまでに成長した、とお父様が認めてくださったのだ!食口さん方、あなたの近くの国家メシアかそれ以上のクラスの教会員にこの件についての質問をし、もしそんな話はなかった、でっち上げ!といわれたら、あなたの信仰は未熟!と、そのお方から思われているってことよ。
しかし、、、6人にまで神様への必死の談判で減らせたのに、ついでに0とまでは行かなかったかもしれない神のみぞ知る事情がおありだったことはお察しするとして、せめてせいぜい1人ぐらいまでで済ませて欲しかったナ~と、人間的に考えるのは小生とおやぢ兄だけでございましょうか?

聖酒式及び三日行事の真意について語る

1999年5月某日
主の曰く
すべての女性は、先生の相対である。
そして、息子を産まなければならない。
その息子を成長させて、自分の相対としなければならない。
これは理解できる者だけが理解すればよい……

原理が崩壊することはありえない(アイロニー)

ネット上でこのような意見をお持ちの方と出会いました。

肉体的血統転換が事実であるならば、原理自体崩壊することを意味すると思います。ただそれだけです。

※注:肉体的血統転換=セックスを伴った復帰=血分(御目合)
それに対するぼくの意見はこうです。
統一教には、まだ明らかかにされていない新しい真理があるというのです。
原理講論の総序の最後にはこのように記されています。

【ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである】
統一教会の一般的な信者さんは、教祖様がフリーセックスをすることなど【絶対!】ありえないと信じているでしょう。
いや、あってはならないのです。
ぼくには、その気持ち理解できます。
だからこそ冒頭のような意見が出てくるのです。
現在の原理講論やお言葉集には、血分(御目合)のことは具体的に著されてはいません。
ですから、原理とはいいましても、原理講論によれば発表されていない新しい真理があるというのですから、我々凡夫など知りえない深遠な未知の部分があるのでしょうから、たとえ血分(御目合)が事実だからといって原理が崩壊することはありえません。
なぜならば、平信徒には明らかにされていないだけで、血分(御目合)原理は教祖様のなかにあるのですから。

タマルが義父(ユダ)と交わったのは神の摂理だったのだと原理は教えています。
タマルの動機がどうであれ、男女の禁じられた交わりだったことにはかわりありません。ですから、教祖様の噂の行為は俗にいうフリーセックスです。

ぼくにとって、教祖様がフリーセックスしたかどうかなんて別に関心ないんです。
その行為が(統一教会の)原理的に正しいかどうかだけに関心があります。
ぼくの研究によれば、教祖様の行為は原理的に正しいとの結論に至りました。
ただそれだけです。

次に、別の観点から考察してみしょう。
もし、未発表の真理が次々とあからさまにされ、完璧に補間されたと仮定します。
その時点で教祖様の噂の行為は、完璧な原理に照らしあわせて全くそぐわないとしましょうか。

そのときはそのとき、それはただ『教祖様の原理違反』となるだけであって、原理の崩壊には繋がらないのです。
自分の教団の教義に背いた教祖様、というだけのことです。

原理という教義をあまり理解していない信者さんは、
「血分がジッサイあったとしたらサあ、原理が崩壊するだけじゃ~ん♪」
という考えの人が実に多い。
そうはイカのキ●タマ!

教祖様だって破戒することはあるのだよ。
ぼくがいいたいのは、ただそれだけです。

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