極悪商法天誅読本―アナタはもう騙されている!
統一教会(正式名称は世界基督教統一心霊協会)イコール霊感商法と言われるほど、その手段を選ばない資金集めは、世間から批判を浴びた。
また、芸能人等も参加した合同結婚式もワイドショーでは話題となった。
彼ら統一教会の信者は、マスコミの報道、裁判等をどのような思いで見ているのだろうか。
[構成・フリーライター:柴知之]
日本に上陸してすでに40年余
最初に統一教会がどのような団体なのかを簡単に紹介する。
統一教会(正式名称・世界基督教統一心霊協会)は、1920年に今の北朝鮮で出生し文鮮明が1954年(昭和29年)5月に韓国で創立した。日本で伝道が始まったのは1958年(昭和33年)から、宗教法人となったのが1964年(昭和39年)。この頃から日本で「親泣かせの原理運動」として社会問題になった。
彼らの教義は「統一原理」と呼ばれている。
教義の経済的側面の中心には、サタン側にある金銭(地上にあるすべての財物)を、神
側(再臨のメシアである文鮮明)に復帰(移す)させる万物復帰という教えがある。
過去の話になったわけではない
霊感・霊視商法とは、「先祖の因縁を解放しないと幸福になれないばかりか、不幸が続く」などと持ちかけ、人の死後あるいは将来について煽り立てることによって不安にさせてそこにつけ込み、普通の人だったら買わないような不当に高価な物を買わせたり、多額の献金やお布施をさせたりする商法を言う。
1980年(昭和55年)頃から被害が露呈しつつあったこの霊感商法に関して、1986年(昭和61年)から朝日ジャーナルが批判報道を開始し、1992年(平成4年)頃からはテレビでも盛んに取り上げるようになった。
最近では、和歌山県のある宗教法人が3年間で約124億円を集めた事件があり、加担した元僧侶などに詐欺罪の有罪判決が確定している。教団トップの被告に対しては1999年7月、地裁において「宗教を装った組織的な詐欺」として懲役6年の判決が言い渡された。
このように、霊感・霊視商法は刑事事件ともなりうるのである。
統一教会は一時期世間を騒がせたが、最近ではテレビのワイドショーに取り上げられる
こともあまりない。では、なぜ今、統一教会の信者に話を聞くのか。理由は、今でも各地で統一教会に対して裁が起こされている。つまり、霊感商法の被害はなくなっていないからだ。
信者の彼らはごく普通のカップル
今回、一信者としての声を聞かせてくれた夫は30歳、妻は31歳。信仰歴は共に10年以上になる。以前は2人とも教会に住み込み、献身者と呼ばれる身分だった。
1995年の合同結婚式で夫婦となり、現在は教会を出て自分たちで暮らしている。彼らの印象は、とても幸せそうな若夫婦といった感じのごく普通のカップルだ。話し方は非常に丁寧で、エキセントリックなところは一つもなかった。
夫が入信したキッカケはルーツ講演会
「僕が統一教会に入ったきっかけは、紹介者と呼ばれる統一教会の信者が家に訪ねてきたんです。ルーツ講演会という講演会があるから出ませんか、という話で、自分の祖先については関心があったので出席することにしました。そのあと連絡が来て、ビデオセンターに来ませんかと誘われました。
セミナーには2回出席し、合わせて7万円くらいの料金を払いました。出席する前に統一教会の名前を明かされ、入信するかどうかの決断を迫られたのですが、統一教会に対して別に悪いイメージはなかったので入ることしました。
入信した後、勉強のために、教会ではなく信者が主催する信徒会と呼ばれる集まりに出席しました。当時の1カ月の収入は手取りで約20万円、その中から5万~7万円のお金を信徒会に支払っていました。
それから半年ほどして仕事をやめ、教会に住み込む献身者となりました。初めは断ったんですけど、だんだん教義の内容がわかってきて。献身者になることによって霊界のステージが上がるんです。
献身者になってしばらくは、街に出ての伝道。その後、信徒会の総務をやっていました。献身者になって貰う金額は、月に1万5000円くらい。その生活を4年くらい続け、信仰を持ちながら社会に戻ることにしたんです。
信徒会の役所的な体質がいやだったのと、このままいても前進しないなと感じて。結局、信徒会にしても教会にしても、何も保障はないんですよ。
大勢の人に信仰のことに耳を傾けてもらうためには、教会内部にいるより社会的な地位を身につけて影響力を持つほうが早いんじゃないかなって思って。
妻は献身者をやめる前に決まっていました。
1995年の合同結婚式で式をあげました。合同結婚式に出るために払わなければいけなかったお金は経費の30万円を入れて170万円です。その内150万円は支払い、あと20万円が残っています」
妻には印鑑を訪問販売していた過去が
「私が入ったきっかけは、街頭のアンケートです。たまたま声をかけてきたのがいい人だったので、自分が変われるかもしれないと思って、だから自己啓発的な意味で入りました。
その後は、主人と同じように献身者になりました。献身者は7年間やっていました。文先生に夫婦とも祝福を受けた祝福家庭が目標だったのですが、一緒になる人が納得してくれたら、普通の世の中で生活していける家庭を持ちたいと思っていました。
印鑑を売っていたこともありました。簿記を持っていたので会計や商品管理もしていました。私が売った最高金額は40万円くらいです。都内の信仰者が経営していた会社です。
私の中では、ただ印鑑を売っていたわけではなくて、人との出会いが目的っていうか。
自分的には、そういう個人的な繋がりが持てたあとに、統一教会の話ができたらよかったんですけど、あまりできなかったですね。訪問販売をしながら、一緒に姓名判断の案内の葉書を配って、送ってきていただいた方には先生を紹介していました。
その中で教義に興味を持たれる方には、教会を紹介したりしました。私自身は印鑑を売って訴訟を起こされたことはなかったんですが、もう会いたくないとか触れたくもないという方はいました。お給料は19万円くらいだったと思いますが、すべて献金するつもりでやっていましたから、必要な最低限だけを貰って生活していました。
実際には1万5000円くらいです。会社は税金の申告をしていましたから、教会にいくのは人件費だったんじゃないでしょうか。ただ、教会にお金がいったのか、信徒会にいったのかは、はっきりとはわかりません」
すべてを捧げなければ教義を本当に理解することはできない
__統一教会の信者は収入の10分の3以上も献金しているということが言われていますが、特に献身者時代、生活状態はどうだったのですか?苦しくなかったですか?
夫「献金をして生活が苦しいことについては、一般の人には理解できないだろうけど、その頃には教会の教えも理解してたし、経済的なことでは何とも思っていませんでした」
__人によっては何百万もの貯金をまるごと教会に献金しているという話もあります。金額はさておき、全財産を奪ってしまうというのは、社会常識としておかしいのではないでしょうか?
夫「確かに、貯金全額の献金を受けることが社会常識としてどうかというと、一般的におかしいというのは理解できます。でも、そこに教会とのギャップがあるんです。
例えば、私たちが持っている貯金全額10万円を捧げる感覚で、お金を持っている人は持っている人なりに全額捧げないと、先祖に対する思いとか神様の存在がわからないというか、教義に入れないんです。
お金って人間が執着しているもので、お金に捕らわれているうちはお金がすべてになってしまうんです。
まあ、だからお金を出すことについてはししょうがないという部分と、ある意味ではやりすぎたかなという部分がありますよね。強引なものもあったみたいですから。僕が献身者になったときは、社会が騒いでいることもあって、そんなにやっていなかったみたいですけど」妻「私なんかは、お金がなかったから自分自身を捧げたんですけど、お金がある方や家庭がある方は、身を切るような思いでお金を出しているという感覚なんです。そして、例えば多宝塔なんかを買って、とてもよかったという方もいるんです。家、土地すべて差し出してよかったという方もいるんです。
その逆に何もいいことがなかったという方も中にはいるでしょう。
私たちみたいに献身者として自由時間もすべて捧げるというのは、お金を出している人たちも同じだと思うんです。この”すべてを捧げる”という感覚になるためには、一時は全部捧げるということが必要だと思います。
献身者でももういやになったとか、疲れたといって出ていく人もいますが、お金が絡んでいないから訴訟にならないですけど、お金を出した人で気が変わった人が訴訟を起こすということになるんでしょうね」
献金は信徒会が独自やったこと 教会は責任をとる必要はない
__霊感商法の被害に遭ったとして、教会を被告とした裁判が各地で起こっていることについてはどう思いますか?
妻「お金を出した人がもう信じられませんというのであれば、もう一度話し合ってそれでもわかってくれなければお返しするという方向になると思うんですけど、やっているのは統一教会ではなく信徒会なんです。一部の個人的な霊能力を持っている人たちがやっていることなんで、教会自体が本当は責任を取るべきもんじゃないと思っています」
夫「霊感商法をやってたわけではないんでよくわからないんですが、裁判になっている事件でも、お金を出すことはしょうがないと思う。その人の霊的な命のことを考えると、財産は妨げになるんです。お金を出した段階では、合意があったわけだから。それに、裁判になっている事件だって信徒会がやっていることであって、教会が責任を取る問題じゃないと思いますけど。
統一教会と信徒会は別なんですけど、仮に一緒のものだとしても、宗教法人が金稼ぎをするなとは言わないでください」妻「具体的に個々の事件をくわしく知っているわけではないですけど、弁護士の持っていき方も問題があるんじゃないですか。
被害者弁護団の弁護士などがすぐ裁判をしましょうなどと、お金を払ったけど不安に思っている人や、断り切れなくて消費者センタに行ったりする人をけしかけたりしているんですよ。
その背景には左翼的な思想もあったりするので、思想的に統一教会つぶしもあると思います。裁判の件数が多くなれば、警察も動かざるを得なくなると思うんです。
だから、弁護士と統一教会の裁判とはなっていますが、思想的な対立もあると聞いています」__「先祖がうんぬん」という霊感商法の売り方自体に問題があったとは思いませんか?
夫「お金を出している時点で合意はあるし、あとから気が変わっただけでしょ。手口と言われている”先祖が罪を犯しているから献金が必要だ、というのだって、どこの宗教もやっているし、それに統一教会の宗教としてはやっていないですよ」
妻「確かに、正直に言って、裁判になった事件は、教義と離れた部分で霊界とか、祖先の話をされた方が行き過ぎたのではないかという気も少しはします。行き違いがあったのではないかとも思います。
でも、なにぶん目に見えないことなんで、話し方ひとつでどうにも取られてしまうということもあると思うんです。だから、行き違いで裁判のようなゴタゴタが起こっていることも多分にあると思います。
私なんかは本人の意思で考えてもらえばいいじゃないかという意見なんですけど、本人が決めているんだから本人が責任とればいいと思います。中には人から言われて決めた人など、自分の気持ちが変わってから信徒会にああ言われたこう言われたなどと言いだしたりして。ましてお金が絡めばなおさらですよね。
そういう意味で、脅迫しているじゃないかと言われるんですけど」
生きるために活動していだけ だから教会の名前を出す必要はない
__統一教会の信者は宗教的な理由をつけて、物を売るような経済的な活動をしていますが、後ろめたいことがないのであればなぜ「統一教会だと名乗らないのですか?
夫「物を売るときに、なぜ統一教会の名前を出す必要があるのですか。
家系図などは、教会に関係ないですから。
一信者が教義を解釈してやっていることです。
信者が教会の教えを仏教的に変換してやっているんです。霊界ということでは仏教的な内容と一致するんです。でも、伝道と会社などを使って物を売ることは別なんです」妻「教会の教義の根本から言うと、各個人が幸せにならなければいけない。最終段階は霊界という話になるんですけど、生きているうちは、結婚して子供を育てるという当たり前のことなんです。
男性であれば一家を養えなければ一人前じゃないわけで、信仰を持ちながら、サラリーマンをやったり会社を経営している人もいるということなんです。
だから、会社を経営している信者が、直接売上げを教会にどうこうしようというものではないので、あえて会社の名前を言わなくよいのではないでしょうか。
確かに霊感商法と呼ばれている中には、行き過ぎた部分もあったかもしれません。ただ、信仰を持っている者にしたら、本人が納得してお金を出しているということについて、そのときは何か意味があったんだと思ってくれれば、神様はその努力は見ていてくれると信じています。
高い買い物をしたんだけど、販売員が帰ったあとに気が変わり要らないと思って消費者センターに相談に行った。それは、自然な流れで、どこにでもあることではないですか。
なのに、それが、ただの会社の販売員ではなく統一教会だと言うと、固定概念があるために偏見の目で見られるのかもしれません」__では、あなたたちの個人的な考えとしては、最高裁で『金銭を出損しなければ最愛の肉親の身に重大な害が生じると伝えて献金名下に多額の金銭を得ることは、社会的に到底是認しうるものではなく不法行為を構成する』との判決が出た今でも、統一教会は、世間から非難されるようなことをしたとは思っていないということですか?
妻「私たちの価値基準のなかでは悪いことをしたとは思っていないけれど、社会から非難されてもしょうがない人間もいたかも知れません。でも、それが統一教会員のすべてではないんです。
それぞれが活動をしているので、教会が把握できないということもあります。社会的に許される契約書を取り交わすというような方法であれば、物を売っても問題はないと思います。
私たちも一般の人たちと溝が埋まらないからとか、正しいことをしているからと傲慢になるのは本位ではないんです。そうではなく、自分たちが正しいと思っているからなおさら、わからない人たちに布教していくことが大事だと思っています」__もし教会も同じ見解だとしたら、公にそれを発表しないのはなぜなんでしょうか?
夫「マスコミに声明を発表しないのは、教会の経済的な問題、つまり広告を打つお金がないということと、マスコミは自分たちに都合のいいように発表するからではないでしょうか」
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彼らの言い分を聞いて、皆さんはどう思っただろうか。あとはそれぞれの判断にまかせたいと思う。
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