神山威元会長の証

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ダンベリー連邦刑務所の生活

ダンベリーの刑務所に、私は多くの本を持って入りました。その本は、お父様が過去に語られた、日本語になっているみ言集です。この機会に、私が今まで持っていたところのいろいろな疑問、そして理解できない部分をお聞きしたい、この期間を逃したら、今後直接に御父様から聞くことができないだろうと思い持って入ったのです。

そのみ言集を私が読み始めた時、お父様は
「何を一体君は読んでいるんだよ。」
「はい。これはお父様が過去語られたみ言です」
「そうか、では先生の前でそれを読んでみなさい」
と言われ、時間があればお父様の前で拝読しました。私が刑務所を出る10分前まで拝読したのです。私が理解できない部分、疑問とするところをお父様にお聞きしました。
お父様はそれに対して丁寧に説明してくださいました。
「先生はこう語ったのにここにはこういうように書かれている。これは先生言ったことじゃないよ。それは韓国語から日本語に訳した、その人の過ちによってこうなってしまった。大変な過ちをしているよ」
といって正してくださいました。
拝読したみ言の重要な部分を、お父様が編集して一冊の本にされました。それが「み旨と世界」という本です。

お父様が「神山、この本を持って多くの人たちを指導するんだ。教育するんだ。必要なみ言はこの中に全部入っている」というお父様に指示を受けて、私のできる限りを尽くして歩んでまいりました。ある時お父様は私に
「あの本(御旨と世界)を持って教育してるのか。しっかりと教育してたら、日本はこういうことにならなかったのに」
と言われてお父様に叱責されました。その時の申し訳ない思いを忘れることができません。

ダンベリー刑務所で学んだこと 1

その刑務所の中でも、私は多くのことを学びました。お父様というお方に24時間、朝から晩まで、晩から朝まで、お父様に侍ることが許され。お父様というお方がどういうお方かということを、多く学ぶことができました。その学んだ中のいくつかを、今日、皆さんにお話ししたいと思います。

刑務所に入ると、裸にされ、そして刃物を持ってきてないか、麻薬を持ってきてないかと調べられました。
それでお父様も裸にされて、調べられ後「囚人服を着るように」と言われました。
その囚人服は、その日、刑務所を出て行った囚人たちが脱ぎ捨てて、洗濯物の箱に投げ入れられていたものを使えというのです。
私は怒りを隠すことが出来ませんでした。
文明国家であるアメリカが、囚人達が使った臭いの染み付いた囚人服を使えと。刑務所に行った7月20日、その日は暑い夏の季節でした。汚れた洗濯物の中から、汗が染みた臭いのする下着をつけなければなりませんでした。汚れた洗濯物の中から……。
私はともかくとして、心から尊敬するお父様が、アメリカを救うために来られたお父様が、悲惨な屈辱な道を行かなければならないと思う時、本当に心が痛みました。

囚人服を着て、私達に与えられたベッド・ルームに行きました。そのベッド・ルームがどういうベッド・ルームだったかというと(写真を見せる)、二段ベッドとマットだけが、藁で作ったようなベッドがありました。
どうやって寝るんだろうと思っていると、ある囚人が来て
「シーツなんかないよ。枕もないよ。あるとしたらあの洗濯箱の中から持ってきたらいいよ」
と教えてくれました。
私は洗濯物のあるところに行って、汗の染みついたシーツ、その中でも最もいいようなものを選んで、お父様のベッドをつくってさしあげなければならなかった時、私は本当にもうどうすることもできない怒りの思いが湧いてきました。この刑務所を出た時には絶対許さない。あの検事!家族まで滅ぼしてやる、そんな思いになるのでした。

「怨讐を愛せ?許せ?」「許せるか!」
そんな思いで足掻(あが)いている私の心を見抜いて、お父様が
「神山、何故そんな心を騒がせてるんだ。先生のことは心配しなくていいから」
「でもお父様、心配しなくてもいいといっても、これはあまりにもひどいです。」
「いいから、いいから」
「最も惨めな所は最高の所につながる。人類には父母がいない。だから兄弟が喧嘩して争いがあるんだ。父母がいないから、父母が。人類の前に真の父母が必要なんだ。その真の父母は、最も惨めな所を感謝していかなければ真の父母にはなれない」「感謝していくんだ」。
「お父様、分かりますけどもあまりにも……」
「神山、こう考えてみろ。君、ダイヤモンド知ってるか。ダイヤモンドは、石炭が熱と環境によって変化してダイヤモンドになった。ダイヤモンドと火をつければ燃えしまう石炭はつながっている。だから最も惨めな所は最高の所につながる。最も惨めな所を感謝して行くんだ。そこに怨むような思いをもってはいけない」。

私の満足していない様子を見て……お父様は私にこう説明してくださいました。
「神山こう考えてみろ。君、男だろう」
「はい、男です。」
「男だったら男としての生殖器を持っているだろう。その生殖器を考えてみろ。体にいらないものを排泄する、小便を排泄する器官になっているだろう。それ分かるよね」
はい、
「そして、その器官は最も貴い生命を出発させる器官にもなっているだろ。最も尊い生命を出発させる器官と、最もいらないものを排泄するための器官がつながっている。だから最も惨めな所を、感謝して消化できないでどうするんだ」
といって私を説得してくださいました。
お父様というお方が、どういう方かということを身をもって示してくださり、本当に感謝でした。怨讐を怨讐視したらいけないということを、私はお父様を通して知らされました。学びました。

ダンベリー刑務所で学んだこと 2

ダンベリーの刑務所での生活がどうだっか、そのお話をしてみたいと思います。
み言を拝読する生活が、このダンベリーの刑務所から始まりました。み言を拝読する日々でした。声を出して読むと他の囚人達に迷惑になるので、お父様はどの場所を選んだかというと外に出て読むのです。
グラウンドのコーナーに枕木がありました、その場所を訓読の場所と決められ、そこに真のお父様が座り、その隣に私が座り拝読したのです。読んでは説明してくださり、また読んでは説明してくださいました。そしてある時「神山!先生と一緒に座ったこの枕木は将来有名になるよ。君がこの刑務所を出る時この枕木をもって帰ることが出来たらいいね」と。

そしてある日、雨が降って、外に出て読むことが出来ないので、ベットルームで拝読したことがあります。
お父様が座り、私が隣に座ってみ言を拝読するのです。拝読しているときに、ある囚人が来て、あなた方はまた本を読んでるのか。その本は聖書なのか!俺も聖書を持ってる。俺の聖書はこれだ。といって一冊の本をベッドの上にポーンと置いていくのです。

俺の聖書はこれだ、読んでみろと言うので、興味あったので立ち上がり手にとってみました。聖書ではなかったのです。エロ雑誌、ハスラーマガジンという最悪なエロ雑誌でした。
私はそれを見て、お父様もそれをチラリと見て居られました。私はこの野郎!私たちを馬鹿にするのもいい加減にしろという思いにかられ、私はそれを持って、拝読していたお父様のみ言をそこに置いて、彼のところへ行こうとしました。
お父様が私のここ(ズボン)を持って「おい!どこ行くんだ、どこへ!座れ」
お父様~このエロ雑誌を彼に……。
「いいから座れ、座れ、読め」
み言を読み始めましたが、み言が耳に入りません、心に響きません。読んでいても思いが彼のとこに行っているので。 「ジャスティンの野郎~私達をバカにして!」

その後、真のお父様は何事もなかったかのように、彼に声をかけるのです。「How are you 元気か」と。私の心の中は、けっして穏やかではありませんでした。そして、その数週間たった後のことです。彼がまた私たちがみ言を拝読しているときに、「KAMI(神山)、俺はこの手紙を持って来た、これ読め」、と言うのです。
「俺は、ハスラーマガジンにRev Moonを悪く批判する内容が書いてあったからたまり切れず、編集局宛てに手紙を書いた。」
その手紙のコピーを読んでくれと、手紙を置いていったのです。

手紙の日本語訳がここにあります。読んでみましょう

(手紙を読む)
おれは『ハスラー』誌の愛読者であると共に、ダンベリー刑務所の囚人だ。
おれの友達の囚人、レバレンド・ムーンについて、あんたの記事はあまりにもひどい。かえっておれを笑わせたほどだ。おれにとって、また多くの仲間の囚人たちにとっても(おれは彼らに聞いた)その記事がレバレンド・ムーンを悪く書くつもりであったとしたなら、一マイルも的を外れているよ。
ミス・ターナーの主張はちっぽけだ。ジム・フォレスト、あんたの記事は明らかに薄っぺらい、ヒステリックな記事以外の何ものでもない。レバレンド・ムーンは、我々アメリカ人が我々の子供たちに伝達したいと希望するすべての事柄のために闘っているよ。それは、婚前交渉やドラッグに反対し、反共であり、妻への愛、そして家庭への献身である。彼の教会の何百万の人たちが、あんたの言うように催眠術にかかって歩き回っているというなら、何故あんたがたは一人の人しか例に出さないのか…。不思議でたまらない。
ラリー・フリントン、あんたは誰よりもよく知っているじゃないか…? 抑圧について…。ある特定の人間の意志や法律が他の自由な人々の上に強要されていることを。
最後にこれを言わせてくれ。おれはレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。そして、おれは彼が彼に要求されたすべての義務を遂行するのを見てきた。一言も不平を言わずに、トイレを洗い、床の雑巾がけをし、すべての仕事を笑顔でやっている。ここにいる他の囚人たちについて、同じことが言えたらどんなにいいかと思う。彼は決して偉ぶらない人で、我々仲間の一人として生活している。
おれの家族の訪問日とレバレンド・ムーンの家族の訪問日が同じなので、おれは、彼が彼の家族に会うのを見て、レバレンド・ムーンが献身的な夫であり、愛し、愛される父親であることも知った。もしこのアメリカにレバレンド・ムーンのような人がもっといたなら、おそらくこの国は今のような悲しい姿にはなっていなかったであろうと思うのである。
1984年12月12日  ジャスティン・イグナシオ
連邦刑務所キャンプダンベリープリズン

彼はこのような手紙を書きました。
レバレンド・ムーンを批判するとしたら、一マイルも的を外れている。俺はレバレンド・ムーンと共に働いてるんだ。彼は雑巾で床を拭き、トイレを洗い、全てのことを笑顔でやっている。
囚人が真のお父様をこう証するのです。
エロ雑誌を俺の聖書だと持ってきたときに、私が感情的になり彼を怨讐視し、なにか危害を与えていたら、この様な手紙を決して書かなかったと思います。私達を馬鹿にする怨讐を、愛で見守るお父様の姿をこの目で見ました。

お父様のダンベリーの生活を考えてみて下さい。
ここの囚人達が使うトイレはいつも汚れています。汚い。200人の囚人達が使うのですから。
刑務所にいる人たちは、自己中心的な人がほとんどです。トイレに行くでしょう。それで小便するじゃないですか。使う前は足元が綺麗だから近くに来て用をします。だんだん床が濡れてくる。次の人が来たらすこし離れて用をする。(笑) そしてそこから飛ばす。そして次の人はもっと離れた所から飛ばす。
そんな話し……なにを言ってるかわかりますね。それをお父様が掃除される。掃除されていく……私は、本当に、申し訳なくて胸が締め付けられる思いになりました。彼(ジャスティン)もお父様が掃除するその姿を、その状況を見たのです。だから彼はこのように証するのです。

(再び手紙の一部を読む)
最後にこれを言わせてくれ。おれはレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。そして、おれは彼が彼に要求されたすべての義務を遂行するのを見てきた。一言も不平を言わずに、トイレを洗い、床の雑巾がけをし、すべての仕事を笑顔でやっている。ここにいる他の囚人たちについて、同じことが言えたらどんなにいいかと思う。彼は決して偉ぶらない人で、我々仲間の一人として生活している。

その様なお父様を、私はこの目で見てきましたよ。そして、それが「アメリカを救い世界を救う蕩減の道であるとするなら、先生は感謝して行く」と。「だから君も怨む、復讐心なんか持つな……」と。

刑務所での伝道

お父様は、刑務所で囚人達が嫌がる仕事は何か……探しておられました。そして嫌な仕事は、先生の仕事にすると言われるのです。
キッチンで200人の人が食べる食事を作る。囚人達が自分で作るのです。順番に……。大きなフライパンに油を注ぎ、スパゲッティーを作る。油がこぼれてしまう。その油を布巾で拭きとるとその布巾は、ぬるぬる、ベタベタになるのです。それをバケツの中に投げ飛ばして入れる。洗わないといけないのですけれども、誰も洗おうとしません。勿論役人が来て洗え!と言えば、洗わざるを得ないのですけれども、自らそれをやる人はいない。お父様は今日からこれを先生の仕事にしよう。

そして、このぬるぬるベタベタになった布巾を、一つ一つ強い洗剤で丁寧に洗う。洗い終わった布巾は高く積み上げられる。私はそれを見ていることができません。お父様、私がしますから私が洗いますからしないでください。お父様が布巾を洗っている場所に割り込んで、洗おうとすると、「これは先生の仕事だ」と、その場を譲ってくれません。

ある囚人が外から帰って来てきました。ドロドロになった長靴をお父様の目の前で、お父様によって洗われた布巾を奪い取るようにして長靴を拭き、お父様が使っているのバケツの中にポーンと投げ入れる。この様子を見ている私は‘この野郎!’なんて無礼な奴だ!お父様は行動に移そうとする私に、「神山、いいから」と諌(いさ)めるのでした。そういう生活がお父様の生活でした。

日曜日になると、神様の前に敬礼式があります。敬礼そして祈祷。それを欠かしたことがありませんでした。初めのころは祈祷の場所がなかったので、ドアを開くと外に出られる場所がありました。ドアを開いてコンクリートのフロワー(床)でお父様が敬礼式をする。暗闇に向かって……。そういう生活でした。

その後、小さな部屋を使うことが許可されました。お父様がまず神様の前に敬礼したあと、私がお父様に敬礼するのです。お父様は日本語でお祈りしてくださいました。
「世界の人たちが、先生を思って祈りを送っている。その祈る彼らの上に、天の祝福があるように」
と祈るお父様の姿を見た時、本当に私の胸は、強い何かの力に締め付けられているかのように感じました。

そういうお父様の祈る姿を、ある囚人が遠くで見ていました。‘レバレンド・ムーンは宗教家だから、祈祷するのだと思っていたそうです。その人が来て、「俺も一緒にレバレンド・ムーンとお祈りしたい、行っていいか」と聞くのです。私はお父様にお伺いしました。ビル・シェパードが一緒に祈りたいというのですけれども、お父様どうしましょうか。お父様の答えは「いいよ、連れて来なさい」。

プライドの高い白人です。カトリックの信仰をもっていた人でした。私は聖書を使って彼に話をしたことがありました。
彼も聖書をよく読む人なので、人間が堕落した結果罪悪世界になった、復帰はこの様になされると聖書を使って話をしたことのある人でした。彼は原理のみ言を少しであるけれど理解したようです。それで、お父様と一緒に祈りたいと思ったようです。

お父様からお許しが出たことをビル・シェファードに伝えました。「レバレンド・ムーンは、いいと言っているよ。じゃ~、行こう、行こう」と、ビル・シェファードが喜んで居りました。
「カトリック教会のお祈りと、レバレンド・ムーンのお祈りは方式が違うから、私に従って、神の前に挨拶しなさい」と前もって注意をして、ビル・シェファードを敬礼式に連れて行きました。お父様の後ろに二人で立ち、お父様が敬礼して祈られ、その後、お父様が椅子に座られました。
ビル・シェファードに私に従って挨拶するように、私もある面心配しました。私の左側に立つビル・シェファードを、たえず見ながら敬礼するのですが、彼もまた私の方を見て、顔を見合わせながら、神様と真の御父様の前に共に敬礼しました。その時のことが忘れられません。
あのプライドの高い白人のカトリック教徒が、お父様の前で敬礼するのですから、感動的でした。
刑務所に行った初めのころは、私たちに対してお父様に対して‘ヘイムーン(Hey, Moon)!’ と馬鹿にした呼び方でした。ところが、時が過ぎていくうちに、お父様のなされることを見て、お父様を見つめる見つめ方が本当に変わっていきました。

一ヶ月過ぎたころには、‘ヘイムーン(Hey, Moon)!’から‘ミスタームーン(Mr,Moon)と敬語をもって呼ぶようになり。そして2ヶ月~3か月後になると‘レバレンド・ムーン(Rev.Moon)と敬意をもって’呼び方も変わってきました。そして私が、4ヶ月17日間の刑期を終えて、刑務所を出るころには、‘ファザームーン(Father Moon)、ファザームーン’と最高の尊敬心をもって真のお父様を呼ぶようになってきました。真のお父様が、サタン世界の人達を自然屈服させ、長子権を復帰する路程を見てきました。

(汚く汚れたパンツの写真見せながら説明)

私はこの汚れたパンツを、永遠に忘れてはならない記念品にしなければならないと思い、刑務所を出るとき持って帰ってきました。‘いつの日にかアメリカ社会に見せてやらなければならない’と、証拠物件として持ってきました。これがそうです。(写真を見せる)

惨めな靴

今でも私は持ってます。これが、最初お父様が履かれた靴です。惨めな、惨めな靴です。その後に刑務所の中で、70ドルのお金を使うことが許されました。身の回りの物を買うために。
お父様は一足の靴を買われました。その靴がこの靴です。(写真を見せる)

お父様は、お母様や訪問客が来られるとき、これを履いて面会室に行くのです。7月~8月は暑いため、古い靴は汗で臭いが靴に染み込むので、お父様、私が洗っておきますから、どうぞ新しい靴を使われてくださいとお願いしても、「いいから、いいから」と言われるのです。何故お父様がいいと言われるのか理解に苦しみました。お父様も素直になって洗うようにしたらいいのに……なんて思っていました。

私が、12月4日に刑務所を出る時、私に洗わせなかった理由が分かったのです。
「神山、君に先生があげたいものがある。先生がとっておいた」
「ええ?刑務所で何か私にくださるものがある?」
「先生は君にあげたいとして靴をとっておいた、この靴を……」
と。(写真を見せる)
「これ履いていくんだ。履いていくんだ」と。
「お父様、結構です。私は刑務所を出たら履くものはいくらでもありますから結構です。」
「いいからこの靴を履いていくんだ」
あんまりお父様が、強く勧めるのでいただきました。
「これを履いてここを出るように、先生は今日食口たちに指示する内容を書いておいたから、これを持って、この靴を履いていくんだ」

靴を履こうとしました、お父様がそれを見て「神山、靴の紐の結び方も知らないのか」と言うのです。知らなくありません。知ってます。靴の紐を結ぶくらいのこと……。
お父様は「こうやって結ぶんだ」といって、私の足元にしゃがみ込み結ぼうとするのです。やめてください。(笑) 私は後ずさりして逃げました。お父様の大きな体が逃げる私を追ってくるのです。
「今日先生は靴の中にサインしておいた」「神山とも書いておいた」と。
貴いお父様のサインを、私が足で踏みつけるわけにはいかないじゃないですか。やめてください!「履いていくんだ」。

結果的には結んでもらいました。私の結び方は横にキュッと引っ張る。お父様の結び方は確かに違いました。結び方は。お父様は縦でした。縦的(写真を見せる)。私は横的。(笑)
お父様から頂いたこの靴は、私にとって尊い尊い宝物です。結んでくださった靴の紐を、今でも私は解くことができません。この状態で、大切に大切に……。今も、私は持ってます。お父様が使われた下着パンツを……大切に保管しています。その価値がわかる人が持つべきです。そう思いません? そうでしょう。

(写真で靴の前に置かれた説明文を読む)

神山氏がダンベリー連邦刑務所を出監する日、文先生はご自分の靴を神山氏にギフトする。文先生は「君にあげたい物が有る……」と言いながら、「君のために靴をキープしておいたよ」と、「この靴を履いてこの場を出るように、古い靴は先生に残しておくように……」と。また文先生は神山氏の足元に座り込み、靴の紐を神山氏のために結んでくださったという、「人のために生きること、へりくだること」を自らの行動を通して教えて下さったと神山氏は証しています。

そうなんです。この様なお父様でした。
ある人たちは、レバレンド・ムーンは権威を着飾って威張っていると言います。
私が見たお父様は、心温まる愛のお父様でした。
間違ったことに対しては、厳しく叱責するお父様であり、私達を許し愛で抱擁してくださるお父様でした。

私はお父様が大好きです。
お父様はアダム国家、私は日本エバ国家として、本当に真のお父様から多くの愛を受けました。そのご父母様を、私が裏切ることができると思います?絶対できません。
今、ある人達が言うのです。神山会長は顕進様の側だから、ご父母様を裏切った・・と。私は真のご父様を絶対視しております。私は、絶対に真のご父母様を裏切るようなことは出来ません!
真のご父母様から多くの愛を受け、恩寵を受けております。今も昔もご父母様に対する忠孝心は変わっていません。

[出典:http://spfjpn.com/moon/kamiyama/]

アメリカ開拓

お父様がこう言うのです。
「先生が君を用いているのもキリスト教の背景があるからだ。そしてまた先生はアダム国家で、君はエバ国家だ。エバを相対に置く立場で開拓しないといけないから君を立てた。だからキリスト教の背景を持ったエバ国家の神山だから、君を使うんだ。先生はアダム国家。だから世界を開拓する時には、アダム国家とエバ国家で開拓していくんだ」。

そして、1972年にお父様は「アメリカに行く、先生と一緒に行こう」。その時はお父様はこう言うのです。「神山は仕事よくするから先生と一緒に旅行しようと」と。旅行するんだったらいいよね。(笑)
私はその頃、語学に対しては自信がない、能力がないと自分で決めつけていました。英語にしろ韓国語にしろ自信がなかった。 絶対に海外に出ないし、海外宣教師にはならない。もし世界の「ため」に生きなければならないとしたら、名古屋、そして、この日本から、世界に必要な人材をたくさん出すから、それで許してもらおう。

でもお父様は「よくやるから先生と旅行する」。旅行するんだったらいいじゃない。(笑) といってお父様に呼ばれて行きました。
そして40日間くらい、いろいろな所にお父様と共に巡回しながら時を過ごしました。
それから一ヶ月、40日が過ぎたころ、そろそろ帰らなければいけない。旅行も終わったし、帰らなければいけない。名古屋からは連絡が来て早く帰ってくださいという。
今日こそお父様に、日本に帰ることを話そうと(胸から首まで手を動かすジェスチャー)、お父様が聞いて下さるかと思ったら、違う話をされてしまい、チャンスを失うことが多くありました。そして、いよいよ今日は絶対に話そうと決めた日、突然お父様がこういうのです。

「君、神山!先生とこれから一緒にこのアメリカでやっていこう」
え、ええ、なんですか、お父様……。お父様、私は英語もできないしだめです。「死んだと思えばいいから」。お父様、私は英語ができないです。語学力がありません!「何を言っているんだ!」
「英語ができないからだめだと?君、言葉もできない人がこの世の中に生きてる。耳が聞こえず、言葉も語る事が出来ない人も生きているじゃないか。それから見れば君ずっと良いよ」(笑)

死んだと思えば良いと言われて、決意せざるを得なくなり、それから3年は、日本に帰ることが出来ませんでした。日本にすぐ帰るはずだったのに。
「君のこれからの仕事は、先生は世界を救うために責任をもった者として、このアメリカにきた。だから今まで韓国にあってもいつも公の前に立つことができなかった。いよいよ世界的な立場にあってアメリカを基盤として世界に宣布しなければいけない天来のみ言があるんだから、君それを準備するように」
「お父様、私は英語が……」
「そういうことを先生の前で言うな」。

それで最初に準備するように言われた仕事は、カーネギー・ホールという会場での大会です。そこに1300名の人が入る会場を満杯にせよ。3日間。
「3日間の大会を先生やるから、その会場を満杯にせよ。それは君の責任だ。エバ国家の君の責任だ」
その準備をするために、日本からも宣教師が送られて来たけれども皆、言葉ができません。ヨーロッパからも来ました。そういう僅かな人たちと共に、準備しければいけない3日間です。兄弟姉妹、無我夢中で働きました。言葉もわからないなかで。

それである食口が路上に出て行って、引っ張ってくるのですけれども「Come on! come on! come on!」あとはしゃべれない。(笑)
そして連れて来て、堕落論の講義、何を言うかというと「アダム、エバ、いちゃ、いちゃ、No No! No No No No.」(笑) それで、だれを連れてきたかというと、売春婦を連れてきた。路上に立っている売春婦を教会に連れて来る。 (笑)
そんな状況の中から始まったのです。

ですから、カーネギー・ホールの大会1300名の会場を満杯にすることが出来なかった。上の席が空いてしまったのです。お父様の前で「絶対やりますから」と言ったのですが……結果は満杯にすることが出来なかった。
お父様に申し訳ないというそういう思いで、3日間の大会が終わった時にお父様に最終的な報告をするためにお父様がおられるベルベディアという所に行きました。そこでお父様がちょうどドアの入り口の所に立っていらっしゃいました。そこに私は行って、お父様の顔を見るなり申し訳ない思いと無念の思いとで、私は泣き崩れてしまいました。すみませんでした!と涙で謝りました。
お父様がそれを見て「神山、泣くな、泣くな、その口惜しい思いを、先生マディソン・スクエア・ガーデンで大会を計画するから、その口惜しい思いをそこで取り戻せ」(笑)

マディソンスクエアガーデンでの集会

私はその時、マディソン・スクエア・ガーデンについて何も知らなかったので、次の日にお父様の言われるマディソン・スクエア・ガーデンに行ってみました。会場に入ってその会場を見渡しました。広いこと広いこと、2万5000~3万名入る会場です。
高い所に立って、全体を見ました、これを満杯にする?誰が、この私が責任者で……。本当に足ガタガタ震えました。
それでお父様の所に戻って来て、「お父様、マディソン・スクエア・ガーデンよりも他の会場がないでしょうか。」
「マディソン・スクエア・ガーデンやるんだ!できるんだから!」
「カーネギー・ホールの大会1300名ができなかったのですが……お父様……。」

「何を~?やるんだ」!
その時のお父様は若かった。お父様がアメリカに行かれた頃のお父様は、気迫も迫力も人並みではなかった、ずば抜けていました。
「やるんだ!先生と一つになれ。先生の心情圏と一つになれ。先生の指示に絶対服従していくんだ。できるんだ。できるんだ」

真のお父様に励まされて始まりました。無我夢中で頑張りました。いよいよマディソン・スクエア・ガーデンでの大会の当日、会場には人が集まってきました。会場には2万5000名、3万名の人が入って。外には約2万5000名の人が溢れて、会場に入ることが出来ない人達で混乱状態……。

その時私は、ヤッター(笑)
そうでした。それでいよいよお父様のスピーチが始まりました。お父様のスピーチが始まってしばらくすると、ある人が、椅子の上に立って、スピーチを邪魔するのです。
お父様のことを‘偽キリスト~!! と叫ぶんです。
会場がざわつきました。その会場を準備するために、心血を注いだ私達は邪魔されてなるものか~!あっという間に私はその人の後ろにいました。ずずずっと引きずり降ろして、(笑) その力がどっから出たか知らないけれども、そのまま連れ出しました。その後に警察官がついてきた……。(笑)

ところが、その会場全体がざわついてしまいました。
その時お父様が歌を歌い始めたのです。
花が咲くね。花が咲くね。という歌。それをずっと歌って、その会場を静かにさせ主管されました。その歌、皆さん知ってますか?

そしてそれを歌いながら会場を静めて、またお父様のスピーチが始まった時、それは、それは感動的であり劇的でした。2万5000名の人たちが、‘うわああ’となっているのを、それを、静かにおさめて主管されていくお父様は格好良かったです。後で聞いてみると、その人は韓国の既成教会の方だったとのことです。

そして次の日。特に動員のために働いた食口たちが集まっての祝勝会です。その時、お父様は私を呼ぶのです、「神山~!!」
「はい。」
「次の大会はヤンキー・スタジアムだ。(笑) 動員責任者は君がやるんだ。人を集めてくるように。そこに5万人を集めろ。」
「え、え、え、お父様~言葉ができないですよ~私は!」
「またそれを言う」
5万名が入るヤンキー・スタジアムの大会、6月1日。
「先生と一つになれ!先生の心情圏でやるんだ。先生と一つになれ。一つになればできるんだから。」

ヤンキースタジアムでの集会

真のお父様に励まされ、その大会の準備を無我夢中でおこないました。
いよいよ大会の当日。朝から雲行きが良くない。真黒な雲がヤンキー・スタジアムの会場の頭上にのしかかってくる。これはどうなるか。大会は何とか神様が守ってくれるだろう。お父様が再臨のメシヤだから守ってくれるはずだ。
大会が始まる30~40分前、その真黒な雲が弾(はじ)け豪雨となりバケツで水をこぼしたように……。60マイル(約100km)の突風が吹きまくったというのです。ヤンキー・スタジアムは円形型ですので、風が竜巻のように吹きまくり、準備していたデコレーションの全てが風と共に飛んでいくのです。

外の様子を早くお父様に知らせなければと思い、お父様がお祈りをしておられる所(野球選手が控える場所)へ、ずぶぬれになった姿で報告にいきました。
「お父様!だめです!神様がこの大会を見捨てたようです。神様が見捨てました!神様が見捨てました。」
真のお父様が怒鳴って、
「何を言っているんだ!最後までやってみないと分からないじゃないか。やるんだ最後まで、ここで!」
すごい剣幕、その時、お父様が座られて居られる後ろの壁に貼ってあった、大きな御父様の顔写真のポスターが、風もないのにバサーと音を立てて外れ落ちるのです。大きなポスターが縁起の悪いこと。(笑) 激しいお父様のプッシュに押され外に出ました。

益々激しく雨が降っている。いやあ~私はどうすればいい。どうすればいい。
困惑していると一人の人が歌い始めました。
You are my sunshine. あなたは私の太陽です。その歌を雨の中で……
一人から二人へと広がっていき最後には会場全体に広がり集まっていたお客さんたちまで立ち上がり一緒になって歌う、一つになって歌う。その歌が本当に一つになったころ、皆の心が一つになった時、風と雨がパタッと止むのです。真黒な雲が、ヤンキー・スタジアムの頭上に伸(の)し掛かっていた黒い雲が切れて、太陽の光が射し込んでくるではありませんか!それは劇的であり感動的でした。(拍手)
一斉(いっせい)に動き出して、めちゃめちゃになった会場の整備、命令ならざる命令で皆動き始めました。こうして、こうやってと準備するのだと、本当は私が指示しなければならないのに、そんな時間がない。私は茫然として立っていました。
皆が動き出して、ある人は会場の外に出たお客さんを連れ戻してくる、ある人は会場を再整備していく。

その時私は感じました。
命令ならざる命令で、それぞれが動き出した。そこに天が働いたんでしょう、霊界が援助したのでしょう。お父様が壇上においでになる時には、きれいに会場が整いました。そしてお父様が、ヤンキー・スタジアムで語られる、お父様の姿は本当に感動的であり素晴らしかった。このような事を私が言うと、信じがたいかもしれません。神山が嘘を言うかも知れないと思うかもしれませんね。それがフィルムに残っています。


竜巻が、会場のデコレーションをみな吹き飛ばしました。私はこの経験を通して知ったのは、真のお父様と一つになることが勝利の秘訣だということでした。一つになることの大切さを身をもって感じさせられました。

ワシントン集会

ヤンキー・スタジアム大会が終わって、また祝勝会がありました。
私は大会の勝利を心から喜ぶことが出来ませんでした。何故かというと、5万名の人が集まったというけれど・ヤンキー・スタジアムの会場の上の方の席が少し空いていたのです。あの天候の中で、5万名の大会を良くやったと言うのだけれど、私の心は満足していなかったのです。だから私は、祝勝会の時には後ろの方にいました。お父様の顔をまともに見る事が出来なかったのです。

その私を真のお父様が見つけ、「神山~!口惜しいだろう」
私の心をよくお父様はご存知でおられました。
「その口惜しさをワシントン・モニュメントの大会で取り戻せ!そこに30万の人を集めろ」 「神山の責任で」!(笑)

その時、ワシントン・モニュメントの大会は何年か先かと思いました。「9月18日に大会をするから準備せよ」と。何年か先の9月18日かなと……思っていました、ところが「3ヶ月先の9月18日だ準備せよ!」
ええ!3ヶ月先の9月18日……。ヤンキー・スタジアムで全ての資金を使い果たし、借金だけが残っている状況でした。私がお父様に申し上げました。
「お父様!お金がありません!お父様、もう資金の面でも難しいですと……。」

お父様の答えは、「やるんだ!やれるんだ!」
あの時のお父様は強く激しかったのです。お父様は「先生と一つになれ。できるから」。結果的に、ワシントン・モニュメントに30万の人が集まりました。またそれは感動的な出来事でした。当時の写真を皆さんに紹介します。

時間がない。お話ししなければならないことがたくさんあるのに。(写真が映し出される)
これがワシントンモニュメントに集まって来た人たちです。(写真を見せながら説明)

お父様が働く人たちを励ましてくださった時、いろいろなことがありました。報告をしながら、いつも、いつもお父様が強調されるのは、先生の心情圏と一つになるんだということでした。私も若いですね、この頃の写真を見れば。(笑) 今は髪の毛が白くなりました。

そして、大会は成功のうちに終わりました。
その後、多くの人達が社会に影響を与える、レバレンド・ムーン(Rev Moon)を恐れはじめました。このままレバレント・ムーンをアメリカに居住させたら大変なことになる。何とか追放する道を、彼らは模索し始めたのです。
その頃お父様は、ニクソン大統領を押したてながら、アメリカをまとめ世界の復帰を願われたのですが、お父様の願いの方向に、ニクソン大統領、そして国民は動きませんでした。国民が動かない。国民は、ニクソン大統領を弾劾するためにいろいろなことをやりました。
それを見ておられたお父様は、国連の前で一週間の断食を決行しながら、‘許せ愛せ団結せよ’というメッセージを送りました。しかし、国民が理解できず、世界復帰の摂理、ニクソン大統領を中心に成そうとしたお父様の計画が難しくなりました。

「その蕩減のために先生は刑務所にいくんだ。その責任はアダム国家にあるし、そしてまたエバ国家にもある。ニクソン大統領とアメリカ国民の失敗を償うんだ。だから君は先生と一緒に刑務所に行くようになるんだ」

[出典:http://spfjpn.com/moon/kamiyama/]

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