【崔淳永】私の一族は統一教会の餌食にされた/週刊ポスト1993年11月

血分け問題
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大韓生命会長が全告白

崔淳永氏の母・李得三と二人の姉は、崔淳永氏が12歳のころ、釜山にある文鮮明の統一教会に入会した。崔氏の妹・催淳華(米国ではAnnieとして知られている)は朴サムエル(サム・パーク)の母親だ。
崔淳永氏は以前新聞で報道された、1955年7月の梨花女子大学校事件時、文氏と姉が逮捕されたことついて事実だと承認した。当時彼女は22歳で、延世大学の学生だった。彼女の父・崔聖模氏は裕福で、彼女を一週間後には刑務所から釈放させたという。文氏は催淳実と1959年の秋に結婚し、そのしばらく後、彼女の妹・催淳華と結婚することを計画していた。
文氏は「ヤコブのコース」を修復していると宣言し、姉妹はそれぞれヤコブの二人の妻であるレア役とラケル役だとした。文氏は自身が数え年で40歳になるまえに催淳実と結婚するつもりだった。
文氏はしばしば数字や神の時代などの重要性について語った。ところが、彼女は結婚を前に去り、文鮮明激怒させた。代わりに彼は1960年4月11日、韓鶴子と結婚した。
彼が41歳、彼女が17歳(数え年)の時のことである。[六マリアの悲劇.com]

レポート:大林高士/ジャーナリスト

父・崔聖模もまた、(統一教会の)“美人計”(美人スパイを使った策略のこと)にはまってしまった

——大韓生命をはじめ、関連9社のオーナーとして韓国財界で重きをなす崔淳永氏の口からは、草創期の頃の統一教会による強引なまでの布教の実態が赤裸々に語られた。いまだから明かす統一教会の「資産家寵絡の手口」とは——。

一族はバラバラにされて

秋晴れのソウルー。漢江沿いにそびえ立つ63階建ての大韓生命ビル(ゴールデンタワー)は韓国一の超高層ビルである。展望台や水族館もあり、ソウル市民に “63ビル” の愛称で親しまれ、日本からの観光客も多い。

私は、このビルの上層階の一室で、大韓生命会長・崔淳永と向かい合っていた。崔は開口一番、こういった。

「私の一族は統一教(韓国では統一教会=世界基督教統一神霊協会のことをこういう)によってバラバラにされてしまった。統一教は私の人生を孤独なものにしてしまったのです」

窓の外には漢江の流れがパノラマのように広がっている。
崔一族は、このビルのオーナーでもある。崔淳永の父・崔聖模は、戦前から小麦粉の製造で財を成し、戦後、朝鮮製粉(現・東亜製粉)を設立。その後、大韓生命などを次々に吸収して新東亜グループの基礎を築いた。17年前にこの父が死去した後、長男の淳永が事業を引き継いで今日に至っている。

崔淳永は現在54才。従業員数5600名の大韓生命をはじめ、東亜製粉、大生相互信用金庫、極東放送など関連9社のオーナとして韓国財界で重きをなし、崔一族の声望は高い。ところが、今年初めから、この崔家をめぐって妙な噂が韓国のキリスト教信者たちの間で立ちはじめた。

「あの大韓生命の63ビルの事質上のオーナーは、統一教会の文鮮明なのだ」
「大韓生命の株式の60%は統一教が所有している」
「大韓生命はじめ崔家の新東亜グループには統一教が資金を援助しているらしい」

さらには、崔淳永の母で聖模の妻である李得三と、淳永の2人の姉(淳華と淳実)についても、「文鮮明によって血分けされ、反統一教系の多くの文書に登場する “文鮮明の3母女混淫” は、この3名の女性を指しているのだ」といった噂が、まことしやかに囁かれたのである。

度重なる統一教会と崔一族にまつわる噂に、家長の崔淳永も苛立ちを強め、ついに今年6月、ソウルでも有数の教会(プロテスタント)であるハレルヤ教会の壇上に立ち、多数の信者を前にして釈明の講演を行なうに至った。

ハレルヤ教会の人気牧師として知られる金相福牧師は、この釈明講演について、こう語る。

「信者たちの間で、63ビルと統一教にまつわる根も葉もない風聞が広がりつつあった。そこで私から、一度信者たちに真相をお話しになったらいかがですか、と、この教会の長老職でもある崔淳永会長に申し上げました。今年6月13日、崔会長は信者たちの前でお話しになり、私も信者たちの喜ぶ表情を見て、満足した気分になりました」

だが、俗に、火のないところに煙は立たないという。なぜ、韓国の財閥企業一族と統一教会にまつわる噂が、それほど根強く執拗に流れつづけたのだろうか。

すでに私は本誌で、統一教会のルーツを探るレポートを3度にわたって報告している。一大猟奇事件として騒がれ、文鮮明教祖自身も「(女子大生)不法監禁」の容疑で逮捕された1955年の梨花女子大事件についても、すでに報告した。

この統一教会草創期の一大スキャンダル事件に関連して、逮捕された22才の女子大生がいる。この女子大生の名は、崔淳実。すなわち、崔淳永会長の姉である。

母と2人の姉が次々に入信

63ビルの大韓生命会長室で崔淳永は、ゆっくりとした口調で語りはじめた。「この63ビルは統一教の資本が入っているとか、統一教のビルだといった風聞は全くのデタラメです。調査すればすぐわかることなのに……非常に憤慨しています。統一教と崔家とは深いつながりがある、といった噂も同様。崔家は統一教会の最大の被害者であって、決して統一教会に与するものではありません」

だが、崔家の中から、淳永会長の母と2人の姉が統一教会に入信し、いまも姉の淳実がアメリカの統一教会の重要人物であることは、まぎれもない事実なのである。

50年代初め、朝鮮戦争で南下した金日成軍はソウルを占領。崔家もまた釜山へと避難した。その釜山で、熱心なクリスチャンだった淳永の母・李得三は、通っていたキリスト教会に巨額の献金をして、戦乱下の巷で話題となった。

もちろん、その金は、夫の崔聖模から出たものだ。当時貧しかった統一教会は、この崔聖模を入信させようと躍起になった。息子の淳永は、まだ10才を過ぎたばかりの少年だった。

「父は統一教を嫌っていました。しかし母が、統一教に足を踏み入れてしまったのです。それから上の姉の淳華、つづいて次の姉の淳実と入信していった。その次は私の番で、母は私にも入信を勧めたが、私も父同様、統一教が嫌いで、ずいぶん抵抗した。それで母は、私をかわいがらなくなった。夕食のおかずも姉たちと差別されたり、そんなことがたくさんありました」

統一教会は富豪の崔家にターゲットを絞り、そして3人の女性を入信させることに成功したのである。淳永はいう。

「当時、統一教では文鮮明を頂点に創業功臣らが高い序列にいましたが、入信したばかりの母が、その高い序列に置かれました。
つまり、そんな高い席に座れば、お金をたくさん出すだろうと、それだけの理由だったのです。母は全てのお金を統一教に捧げ、父との喧嘩も絶えなくなりました。貧しかった統一教は、私の一家だけでなく、金持ちに接近してはお金を奪った。そのためには本当に野卑な方法を使った。まさに目的のためには手段を選ばず、です。カネさえ奪えるなら、平和な家庭を完全に破綻させても彼らは何とも思わなかった」

淳永は “野卑な方法” という言葉に、ことさら力を込めるのだった。

戦乱が終わり、ソウルへ戻った崔家を次に襲ったのが梨花女子大事件である。1955年7月、文鮮明と統一教会幹部4名、それに延世大学の22才の女子大生が「姦淫媒介」容疑で逮捕された。この女子大生が、崔淳実である。

「長姉の淳華は梨花女子大で次の姉の淳実は延世大学に通っていました。でも、父が留置場の姉に毎日差し入れをしていた、という話は、いま、あなたから初めて聞きました。父は娘思いの優しい人でしたから、そんなことをしたかもしれませんね」

2人の姉は、その後、どうなったのだろうか。淳華は、もともと医科大学に進む予定だったのが、入信ですっかり進路が変わってしまった。

「でも、淳華の入信期間は短かったのです。統一教で知り合った青年と結婚したのですが、まもなく2人で統一教を脱退した。ところが肺病に冒されていた青年が死に、その後、姉はエホバの証人に入信して、それは今日もつづいています。次の姉は梨花女子大事件の数年後、アメリカへ渡り、いまも統一教の人間です」

父・聖模がのこした遺産のうち、大韓生命株0.58%がこの次姉・淳実の所有となっている。この淳実の持ち株がすでに統一教会のものとなっている可能性があり、それが60%に飛躍して「大韓生命は統一教」という噂が広まったのではないか、と淳永はいう。

美人計にはまってしまった

韓国財界の大立て者・崔淳永の話は、母・李得三の死へと及んでいった。

李得三が文鮮明と統一教会に出会ったのは、40才の時だった。その後、長く教会のために尽くした彼女は20数年前、子宮がんにかかり、「50%以上の確率で治るから」と医師から手術を勧められた。彼女は文鮮明のもとへ相談に出向いた。その時、文鮮明はこういったという。

「私が治してあげます。手術など必要ありません」
だが、その結果は最悪だったと崔淳永は、いう。
「文鮮明の命令に従った母の病状は悪化し、ついには亡くなるのですが、死ぬ直前になって、やっと母は統一教を信じていたのが間違いだったことに気づいたようです」


統一教会の「反論」と「見解」

もし崔淳永氏が、貴誌のインタビューに答えて語ったことが事実とするならば、当宗教法人は以下のようにお答えします。

1:崔淳永氏が「母と姉が統一教会に入信し、その結果、巨額の資金が統一教会に献金として流れていった」と語っているとのことですが、韓国統一教会に問い合せたところ、韓国戦争以降の1950年代から60年代、韓国経済は非常に困難な状態にあり、崔氏の父親が運営した企業は当時中小企業であり、とくに崔氏の父親が当教会に入教しない状態で、巨額の資金が当教会に献金として流れるはずがないし、そういう事実は全くないとのことです。

2:崔氏が「統一教会は母親が亡くなる前に、ある女性を父に接近させ、財産を奪取しようとする方法を用いた」と話しているとのことですが、韓国統一教会に問い合せたところ、そのような事実は全くないとのことです。

また、最近、韓国でキリスト教一部の反対派が「崔氏は大韓生命ビル(63ビル)や、フェップル宣教センターの建設・運営資金ならびに全州大学校の引受資金等を統一教会から支援を受けた」と主張しており、崔氏は自分と統一教会が無関係であることを立証するために、貴誌のインタビュー で事実無根の発言をしたものと推測されるとのことです。[統一教会広報部]

淳永と彼の妻は、病床の母・李得三を看護していたが、ある日、3人の統一教会の関係者がやってきて、テープレコーダーを瀕死の病人の前に置いた。そして遺言を吹き込み、葬式は統一教会で行ない、さらには遺産相続についてまで語らせようと数時間粘ったが、李得三は沈黙しつづけたという。

「彼らは1階の奥の間の母の部屋のまん中に録音機を置いていました。私と妻は、こらえ切れずに、ついに “私たちの母であって、あなた方の母ではありません” といって彼らを追い出しました」

崔淳永は当時を振り返ってこう語り、母・李得三は聖恩教会の徐載勝牧師に遺言をのこしたと明かすのだった。徐牧師は現在カナダにいて連絡が取れない。だが、徐牧師と親しい金相福牧師は、こう語るのだ。

「最近、崔会長への悪質なデマが流布されたことで、私はカナダの徐牧師に電話して、李女史の遺言を確認しました。李女史は、亡くなる直前、徐牧師の耳元でこういったそうです。統一教を信じた私は間違いだった。イエス様を信じる人だけが天国へ行く。私もイエス様だけを信じて天国へ行きます‘と」1972年1月、ソウルの病院の一室での出来事だった。

だが、この母・李得三の死の前に、統一教会は再び父・崔聖模に触手を伸ばしていたと崔淳永は、ため息をつくように、こう語るのだった。

「統一教は、母が亡くなる前に、ある女性を父に接近させて、父の財産を奪おうとしました。私の庶母となった人です。[朴貞淑] 手段と方法を選ばないのが統一教なのです。母が亡くなる前に、あれほど統一教をイヤがっていた父は、統一教が送り込んだ人と結婚したのです。統一教の “美人計”(美人スパイを使った策略)にはまってしまった」

朴貞淑

1956年頃、ソウルにて文鮮明と写る六マリアたち。
右から2番目の女性が李得三。彼女は元々崔聖模の妻だった。統一教会とは釜山で出会った。文氏は彼女を入会させるため沢山の時間と労力を費やした。彼女の夫が大変裕福だということを知っていた。崔聖模は妻が彼の元に戻ることを信じ続けたが、彼女が帰ってくることはなかった。
文氏の前、左から3番目に立つのは朴貞淑。彼女は六マリアの一人だった。文氏は“美人計”である朴貞淑を崔聖模と結婚するように仕向けた(彼女は文氏といることを望んでいた)。

劉信姫によると、文氏は六マリアのうちの一人を韓国の財閥の創始者と強制的に結婚させたという。この話を、統一教会問題に詳しい国際宗教問題研究所長・卓明煥にぶつけてみた。「韓国で “美人計” とは、美人を使ってある目的を達成したり、事を有利に運ぶ、そんな意味に使います。私は28年の長きにわたって統一教と闘ってきましたが、何人か美人の接触があって、これが “美人計” かと何度も思ったものです。私は聖職者ですから女性関係が噂されればそれだけで致命傷ですが、普通の人だったら “美人計” にはまりやすいのではないですか」(卓明煥)

父・崔聖模も、76年に肝臓がんで死ぬ。聖模とその2番目の妻の間には男子が生まれている。問題の “美人スパイ” は当時、30代の後半。現在は、息子とも離れてソウル市内でひとりで住んでいる。

統一教会と崔一族との長い葛藤を知るソウルの教会関係者が、改めてこう語る。
「63ビルのあの形は、ちょうどイエス様に祈る時、両手を合わせる形なのです。つまりあのビルは韓国クリスチャンの象徴そのものでもあるのです」

63ビルを後にして、そこからほど近い汝矣島の統一教会の120階建てビルの建設予定地だった場所を訪れてみた。MBC放送に隣接する一等地。いまは駐車場となっているが、敷地1万8000坪。まぎれもない統一教会の所有地である。

いつの日か、この空き地に120階建ての超高層ビルが建設されて、その上層階の部屋から文鮮明が63ビルを見下ろす日がやってくるのだろうかと、ふと思った。20世紀末の巨魁・文鮮明。彼の野望は、いまだついえていない。

[出典:週刊ポスト年1993年11月 P218-P221]

韓国・毎日新聞1976年6月28日記事
新東亜「グループ」會長・崔聖模氏死去 26日朝 故崔聖模氏

新東北亜グループ崔聖模会長・崔聖模氏は26日、持病(肝臓がん)のため亡くなった。葬儀は28日朝、楊州市京畿道の一族の墓にて執り行われた。友人、親戚や財界の重鎮などが参列した。
亡くなった崔聖模氏(享年67歳)は黄金海道沙里院出身。釜山冷凍を1955年に創業以来、東北亜綜合産業、新東北亜火災保険、韓国メタノール、泰興産業、大成木材等を設け、それらを基に新東北亜グループを創立した。崔氏は統一主体国民会議運営委員であり、また韓国経済連合の副会長でもある財界の重鎮であった。遺族には朴貞淑夫人と4男4女がいる。

・李得三(崔聖模の前妻・文サムエルの母(崔淳花)の母。文教祖との性行為儀式で六マリアの一人になり、その後は崔聖模とは離婚)
・崔聖模(李得三の夫・朴サムエルの母(崔淳華)の父。李得三と離婚して後に、文教祖が財産目当てで送り込んだ六マリアの一人の朴貞淑と結婚)
・朴貞淑(崔聖模の後妻。文教祖との性行為儀式で六マリアの一人になり、その後は文教祖の命令で崔聖模と結婚)

文教祖も、み言葉で「朴貞淑」のことをこのように語っています。
『そのような北の基盤をすべて崔氏たちがみんな台無しにしてしまった、崔氏が。崔氏!崔聖模。崔氏と朴氏。統一教会の女性の中で先生のところに入ってきて住んでいた朴貞淑がいるだろう? 崔聖模と一緒に暮らしませんでしたか?息子を五人も産んで。(「今は難しい立場にあります」)それ(朴貞淑)を私が助けたら道を開くことができるのだが……』
(「文鮮明先生み言葉選集」327巻より)

『女性もそうです。統一教会では、朴氏のおばさん……、朴貞淑を知ってるか?(「はい」)賢実(姜賢実)!朴貞淑を知ってるだろう?(「よく知っています」) あ……「よく」はつけなくていいから(笑)知っているというなら何をよく知っているのか?(「一緒に数年住んでいたんですけど」)そうか。朴貞淑、朴正華!朴氏を重要視しました。』
(「文鮮明先生み言葉選集」412巻より)

『朴貞淑も死んだという話があったが、それは本当か?(「はい、霊界に行きました」)』
(「文鮮明先生み言葉選集」402巻より)

[出典:六マリアの悲劇.com]

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