【朴サムエル】文鮮明氏 実子の告白【翻訳書き起こし】

血分け問題
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2014年7月ワシントンDCで開かれた、国際カルト研究学会(ICSA=International Cultic Studies Association)主催の講演会で、文鮮明氏の実子である朴サムエル氏がスピーチした。

https://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/125456761968/sam-parks-2014-icsa-video-transcript

上記、サムエル氏の英文スピーチを掲載したサイトには被告・家庭連合等からの訂正・削除要求は行なわれていない。よって、スピーチの内容は事実と判断してよいだろう。(ルポライター:米本広和氏)

以下、暗在翔子さんによる翻訳。

プロローグ

お読みになった方がおられるか分かりませんが、私に関して書かれた記事がすでにあります。マライア・ブレイクという名の記者による記事で、雑誌「ニューリパブリック」‘The New Republic’ と「マザージョーンズ」 ‘Mother Jones’に掲載されました。ですから今回の話のある部分は既出かもしれませんが、それらの記事に載っていない新出情報がまだまだあります。同様に関心をもっていただければ幸いです。
私はこういう場が初めての初心者ですし、伝えるべきことがたくさんあるので、書いたものを読むのがいいと思います。そうしないで(ドナ・コリンズの方を指して)あなたの時間を全部食ってしまっても困るでしょうから。
ドナ:そうよ、そのとおり。
サム:いえいえ、そんなことにしたくはありませんが(会場、笑い)。ではここから始めたいと思います。
(注釈) ドナ・コリンズは、イギリスの初代統一教会長の娘(祝福2世)で、サムエル氏の親しい友人。

韓国メロドラマのような人生  00:48

私は、億万長者で統一教会の創設者であり人類の救世主だと宣言した文鮮明牧師の隠し子(あるいは最近の記事の表現によれば「私生児」)です。私の母親、崔淳華(チェ・スンファ Soon W.Choi)は有力な億万長者である崔氏一族の子孫でした。
崔一族は韓国で2番目に大きな保険会社・大韓生命の前所有者で、ソウルにある伝説的な63階建て黄金の本部ビルで知られていましたが、それは今でも世界で最大級の金箔建造物です。

私は莫大な富と狂信と偽善の世界に生まれました。私の人生はまるで、お金、セックス、権力、陰謀に満ちた韓国ドラマのようです。権力がいかに腐敗するか、いかに絶対権力が絶対的に堕落するか、目の当たりにしてきました。地獄への道がどのように善意で敷き詰められるかを目撃しました。
それは常に目的が手段を正当化する、狂信的な正義感に歪められた善意でした。
最後には、私の出生を取り巻く状況を拒絶し秘密にする心理が、私の人生の大部分を影の中で隠れて生きざるを得ないようにしたことを理解するようになりました。
私はジョージワシントン大学で、歴史学専攻、哲学・心理学副専攻で学士号を取得し、同大学で金融の経営学修士課程を終了しました。1999年の父と統一教会運動との秘密保持契約に起因して、過去十年間、様々な形で訴訟に関係してきました。

母のように、私はかつて、私の父である文鮮明牧師は人類のメシアだと信じるよう教育されました。
しかし、母がその母(私の祖母)によって統一教会へ連れて来られたのとは異なり、私はその中に生まれました。私は「改宗体験」を経験してないし、家族や元の生活様式を放棄する必要もありませんでした。教会が私の生活様式でした。が、私に関して何か違うものがあることを感じ取っていました。
12歳から13歳になったばかりの頃、私の実の両親は、実は文鮮明牧師と崔淳華だと気付いた時、その「違い」は自ずと明らかになりました。
私が自分の両親や兄弟姉妹だと思っていた人達(朴普熙-パク・ポヒと妻の尹基淑-ユンギスク、そしてその子供たち)は、私の本当の両親の正体を隠して私を生後直後から育てるよう文牧師から命じられていたのです。
私たち(訳注:サムエルとその母のこと)の統一教会運動に対する訴訟の核心には、まさにこうした強制的な偽りや、父が母に約束しては守られなかったたくさんの約束があります。

父は17歳の母をレイプ  04:48

母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼が母に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。
その時、私の父が言うには、私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、元返すために……
すみません、統一教会用語を使わせていただきます。教会に関心があるみなさんの一部はそれをご存知かもしれませんが、多くの方々は知らないでしょう。このビデオを見るかもしれない統一教会員が大勢いて、彼らの助けになるかもしれないので、ちょっと大目に見てください。
父は母にこう言いました ―基本的に父は母をレイプしました― 天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。それが統一教会信者の理解する人類の堕落です。

母は、性が全く議論されない風潮の当時の良家の出身で、そういう事柄に関してとても純真(ナイーブ)だった。教師を非常に尊敬する傾向がある東洋の文化の中で、父は彼女の母親の先生であり、彼女に対して支配力と権限のある位置にいた。
また身長わずか150cmの母に比べ、父ははるかに大きく力も強かった。韓国では承諾年齢は19歳父は母とセックスをした後、私がしたことは誰にも言うな、特にお母さん(サムの祖母)には言わないようにと母に言った。
時とともに、また宗教的な条件付けで、母は起こったことを「摂理」として受け入れるようになったが、その時のトラウマの記憶は今日までまだ残っている。

<主な登場人物関係表>
朴サムエル          :本人、語り手
文鮮明(ムン・ソンミョン):父
崔淳華(チェ・スンファ) :母
李得三(イ・ドゥクサム) :祖母―母の母
崔聖模(チェ・ソンモ)   :祖父―母の父
崔淳実(チェ・スンシル) :伯母―母の姉
朴普熙(パク・ポヒ)   :養父、文鮮明の側近
尹基淑(ユン・キスク)  :養母、朴普熙の妻
韓鶴子(ハン・ハクジャ) :文鮮明の妻、文夫人
韓鶴子の母親      :洪順愛(ホン・スネ)
韓鶴子の父親       :韓承運?既婚男性? 

祖母は教会草創期の篤志家  06:16

まず、母の家族(崔家)が文鮮明牧師の初期の宗教運動の始まりから果たした中心的な役割を知らずして、父と統一教会運動に私どもが関与する背景を理解することができません。統一教会の信者にとってもそうでない人にとっても、崔一族のこの「隠れた歴史」の含意は無視出来ない重要なものです。
父は1953年に初めて私の祖母に会った時、彼女が父にとって非常に重要な人になることを彼女の名前から知っていました。
祖母の名前は李得三(イ・ドゥクサム)といい、文字通り「3つを得る」という意味で、韓国の尺度からしてもかなりめずらしい名前です。しかし統一教会信者にとって、祖母の名前は、創世記1章28節に書かれた3大祝福(「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」)を表し、『原理講論』(統一教会の信仰体系)における中心的な御言を示すので重要だったのです。

崔家が裕福だったため、私の祖母は、50年代から60年代を通して何度も何百万ドルもの寄付をした、草創期の統一教会運動の主要な財政後援者でした。教会の初期の時代に彼女が援助しなかった人はたぶん1人もいなかったし、そのため彼女は教会内で大変愛される人物でした。
1950年代中頃の100万ドルは、今日の価値換算でおよそ850万ドル(訳注:約10億円)に相当します。彼女は50年代の初めに100万ドルの大邸宅を売って、その収益を教会へ献金しただけでなく、1973年に亡くなるまで、何十年にもわたって絶えず莫大な金額を献金し続けました。

 祖母の李得三は、書籍『六マリアの悲劇』の中で、6人のマリアの筆頭の1人として名前(仮名)があがっている。著者の朴正華氏も得三女史の支援を受けたと書いてある。
「辛貞順(李得三の仮名)は、六マリアになれたことで、文鮮明のそばで永遠に平和な生活ができると思っていた。それで、釜山草梁洞にあった家を売り、文鮮明に捧げた。私が釜山で縄の商売を始めたとき、その資金を用意してくれたのも、やはり辛貞順だった。」(『六マリアの悲劇』P152より) 

祖父は韓国の新興大富豪  08:40

私の祖父、崔聖模(チェ・ソンモ)はその時代の実績ある実業家でした。彼は26歳時に自力で成功した億万長者で(100万ドルが本当に意味を持っていた時代に)、富を得てまた失うことを3回繰り返したにもかかわらず、祖母が統一教会に入った1950年代初頭までには、新東亜グループ(崔家が所有する大複合企業)が数十億ドル(訳注:約数千億円)規模の企業になるための堅固な基盤を築いていました。
祖父の事業が発展するに連れて、彼の影響力はソウル(韓国)の政治権力の中枢に達しました。彼はたびたび、当時の朴正煕大統領の要請を受けて、ワシントンD.C.で米国との貿易交渉を主導するために派遣されました。朴正煕大統領の時代に、祖父はホットラインと呼ばれる青瓦台への直通電話を持っていて、米国の経済諮問委員会と同様の団体の長で、経済政策について頻繁に大統領に助言していました。

祖父は一流企業グループを築き、納税額で見た時、サムスン・グループの創設者で彼の親友である李ビョンチョルに次いで、韓国で2番目に金持ちになりました。韓国で最も裕福なこの2人が昼食のために会って話すことは、意外にも、ビジネスに関することでなく、ほとんど家族と子どもたちのことになるのでした。
いくつかの点で、これは私の祖父がどういうタイプの人間かよく表しています。 その成功と権力にもかかわらず、彼にとって最も重要だったのは彼の子どもたちと従業員の幸福でした。
本質的に彼は謙虚で高潔な人物で、当時におけるもっとも道徳的な実業家とみなされていました。特に当時は腐敗があり今も基本的にそうである韓国にあって、そのことは母と私が最も誇りに思う事実です。

姉妹2人と結婚する“崔家の摂理”計画 10:44

崔家の名声を知れば、私の父がなぜ崔一族の支援を手に入れることに釘づけになったかを見抜くのは簡単です。私の祖父の支援があれば、政治権力の中枢(つまり青瓦台)と財源が、父の初期の運動に対して広く開かれたかもしれないのです。きちんとした後ろ盾があれば彼がどれくらい高くまで上れるか予測できません。父にとって崔一家は、救世主としての夢を叶えるための王冠の宝石でした。

非信者にとって次の言葉はナンセンスですが、再び我慢して聞いてください。
私の父(文鮮明)は、神が崔家を通して人類の歴史の全てを完成させようとしていると私の母に繰り返し語りました。私の祖父は歴史的に天使長の位置に立っており、2人の叔父(私の母の弟たち)は歴史的カインとアベルの位置、私の母とその姉(2人とも私の祖母が1953年に入教したすぐ後に入教)は歴史的レアとラケルの立場にある、と父は信じていました。
父は、2人の姉妹と結婚することによって聖書のヤコブの生涯と同じ道を行き、実の姉妹と彼女らの侍女によって12人の息子をもうけなければならないと思っていました。
ヤコブのように、父はまず1960年に姉の方(私の伯母)と結婚し、7年後に離婚して、より若く個人的に好きな妹の方(私の母)と結婚する計画でした。1960年までは、教会内のほとんど誰もが、私の伯母と母の両方と結婚しようとする父の結婚計画のことを知っており、母を統一教会の将来の「真の母」と認めていました。
父によると、彼の使命を正しく遂行しようとするなら、聖書のヤコブの路程を同じように辿って、崔家の家族の中でこのような重要な関係をきちんと行なう必要がありました。

13:03
遺憾ながら、父の活発な性的衝動ゆえに、他の女性何人かに意図しない妊娠を引き起こしたので、父に対する私の伯母の信仰は欠けていき、最終的に1959年後半の公式婚約後すぐに統一教会を去るに至りました。
このようなことは他の人がほとんど知らないことです。これらは都合が悪いゆえに教会が口外しなかった隠れた歴史です、なぜなら… それは全く忌み嫌われるもので、1960年から教会が人々に教えていたことと矛盾するからです。

私の伯母が婚約を破談にしたあと、父は急激に失速しました。 彼の使命の中心だった、7年間にわたって築いてきた関係は、あっけなく蒸発しました。
彼は自分の責任を認めることはせず、彼を失望させた私の伯母と崔一族を非難しました。それは責任転嫁して自分を除いた他すべてを非難する文牧師の典型的なやり方です。
しかし、彼はジレンマに陥りました。「天の計画」を守らなければならず、彼が40歳になる1960年の春には結婚しなければならないのです。統一教会信者は40という数に重要な天宙的意味があると信じるので、彼は約4か月という短期間のうちに急いで花嫁を見つける必要がありました。

父は大急ぎで新しい花嫁を探す  14:40

反動の状況について話しましょう。つまり父が韓鶴子(現在の文夫人)を妻に選ぶとき何が起こったか。
父は私の伯母が裏切ったと思い、自分の威信と希望が個人的に侮辱されたと捉え、崔一家に拒絶されたと感じて結局、現在の文夫人である韓鶴子を選ぶことになりました。
彼が新しい花嫁を見つけるにあたって設けた唯一の基準は、親の承認が不必要な「誰でもない無名の」女の子ということでした。十代の頃の韓鶴子は賢く、勤勉で、可愛らしかったが、彼女には残念なことに、無知で薄情な母親(訳注:洪順愛のこと)がいました。
多くの点で韓鶴子は環境の犠牲者でした。
彼女は未婚の母親が統一教会に入る前に同じセックスカルト教団に入っていた既婚男性との間に生まれた私生児で、母親はその後賄い婦として統一教会の台所で働くことになりました。実の父親は韓鶴子を自分の娘だと思わなかったので、親の許可は問題ではありませんでした。

話は1964年に飛びますが、私の父とその途方もない世界支配の計画はうまくいっていませんでした。1960年にメシアである私の父と申し分ない花嫁・韓鶴子が聖婚して4年が経っても、世界はほとんど見向きもしませんでした。
ここで1960年当時の統一教会員の一般的な信仰を理解する必要があります。
当時の統一教会信者は実際、私の父と韓鶴子が結婚すれば天が開け、世界が奇跡のようにひざまずいて、彼がメシアでその妻は全人類の真の母だと認めるだろうと信じ考えていました。それはカルトの中で蔓延しがちな呪術思考の症状です。
しかし現実は大きな失望でした。
彼らの長子は「天の王子」になると最初に宣言されていましたが、誉進は生まれてみると女の子でした。
3番目の子供、恵進は生後まもなく死亡しました。
信者数は停滞して伸び悩み、教会はまだ財政的に厳しい状況でした。
これは私の祖父と全く対照的で、祖父の富と影響力はその期間に拡大し成功し続けました。
父は韓鶴子と結婚したのは間違いだった、軌道修正して崔一族との当初の計画(父が「崔家の摂理」と呼んだもの)に戻ることが必要だと結論を出しました。

私が生れる前後の隠された事情 17:40

1964年春に母がジョージタウン大学の大学院課程で学ぶため渡米すると決めたことで、父は計画を実行に移しました。基本的に母は、韓国のソウルにいる私の父から逃れて、文夫人にいくらかでも息をつく余地を与えたかったのです。
1960年に韓鶴子が私の父と結婚して以来ずっと、教会内の全ての人は韓鶴子が彼女には決して予定されていなかった位置を占領していると知っていたので、韓鶴子とその母親は非常に居心地が悪かったことを知ってください。これが韓鶴子の母親が自分の娘にできるだけ多くの息子を産むようけしかけた理由です。母親は娘が男の子を1人産むごとに娘の文鮮明に対する権限が増すことを知っていました。

それでも父は心を決めました。自分の計画を確実にして私の母を失わないために、1964年ソウル青坡洞教会の本部で、内密に統一教会の公認のセレモニーをして母と結婚しました。
父にとって何が重大だったのかご理解ください。
父は、母がアメリカへ発ってしまえば彼女を失い、崔家の富に繋がる可能性がなくなってしまうことを恐れました。
また、私の祖父の報復から父と教会を守ってくれる唯一のものが、私の母の父と教会への忠誠心と献身でした。ですから父にとって、母を失うことは存在自体の危機だったのです。

(注釈)サムエルの祖父の崔聖模氏は、文牧師の最初の妻・崔先吉女史の叔父にもあたる人物。崔聖模氏から見れば、妻(李得三)と娘2人(崔淳実、崔淳華)と姪(崔先吉)が文牧師と性関係を持って不幸な目に合っている。文牧師が聖模氏の報復を恐れても不思議はない。http://ameblo.jp/chanu1/entry-11552019443.html

18:50
そして最も重要なのは、母と結婚して、彼女を通して子供を持つことによって、父はヤコブの生涯または統一教会信者が呼ぶところのヤコブ路程をモデルとして同じ道を辿ることに成功するのです。統一原理によれば、それは彼の最も重要な使命でした。
統一原理はその時から変更されて、今日の原理講論は初期の頃のものとは大きく違っています。教会は現在の文夫人と結婚した後起こった事実関係に合わせるために原理の調整・手直しをしなければなりませんでした。

父は母の渡米後まもなく、1965年に彼女の後を追いました。母は米国に1964年に来て、父は1965年に来ました。
彼は基本的に“すべてを危険にさらして”(これは父自身の言葉です)私を作ったと語りました。父の唯一の目的は、米国に来て私の母を妊娠させることでした。父は母を失いたくありませんでした。父は母の妊娠の確証を得てからやっと母のそばを離れました。
父は1965年に約3か月間滞在しました。私は翌年の1966年1月に生まれ、それ以降は知ってのとおりです。

事の真実は、父が私を作って崔家の摂理に戻るという確固たる意志を明確にしたので、文夫人は私が生まれる頃までに退いて、私の母のために妻と真の母の地位を明け渡す覚悟をしている、と彼女は私の祖母に言いました。
しかし、父が韓鶴子を外し、私の母を統一教会用語で「真の母」として正当な位置に就ける計画をやり通すのを妨げたのは、私の母の同情心でした。母は韓鶴子の可能性を信じたかったし、また1人の女性として、韓鶴子と4人の幼子たちを追い出すに忍びなかったのです。これは私が生まれたあと母が私を放棄しなければならなかった理由です。母はそれを知りました。
後から考えると、もし母が今知っていることをその時知っていたら、全く違った態度をとっていたでしょう。私が生まれた後、父は母との間にもっと子どもを欲しがりましたが、母は拒否しました。祖父や世間から事を秘密にしておくため新たに生まれた子どもたちが母から取り上げられ別の家庭で育てられることを考えると、悲しみに耐えられなかったからです。

真実の教会史を伝えたい 21:35

私が今説明したことは、統一教会の本当の隠された歴史です。
歴史の記録を正すためこの演壇に着くのに長い時間がかかってしまいましたが、私はもうこれ以上この秘密を背負わなくてもよくなります、ついにこの日が来てホッとしています。
統一教会に与える影響や「真の母」としての文夫人の正当性、統一原理に基づくその子孫の「真の子女」あるいは嫡子相続人としての正当性などを考えると、なぜ統一教会運動がこの情報を包み隠しておきたがったか、なぜ彼らが秘密を守るために極端な法的手段をも辞さなかったか、その理由を理解するのは簡単です。母が統一協会の正しい「真の母」であることの根拠を示すのは難しいことではありません。それは文夫人自身が、1966年~67年当時、私の母に彼女の位置を明け渡す準備をした時点ですでにそれを証明していたからです。

しかし媚びへつらいに満ちた、莫大な富と特権と絶対権力の世界に包まれたまま時が経過して、韓鶴子はいかに若い時の良心を失ってしまったか一目瞭然です。
それに彼女自身の母親に育てられ受けた教育の悲惨な現実を加味すると、韓鶴子は自分の子どもたちをちゃんと育てる技術を全く身に付けてこなかったことは ― 今日その子どもたちのほとんどが彼女を非難している ― 自明です。
私の出生のタイミングと状況を見るならば、統一教会運動の「正当な相続人」としての私の主張の価値についての議論は非常に簡単です。
もし韓鶴子が統一教会運動の予定された真の母だったとしたら、なぜ私の父はその「神聖で、聖なる」結婚から抜け出して私を作ったのでしょうか。
またなぜ彼はその時、そうするために「すべてを危険にさらす」と私の母に言ったのでしょうか。
まあ、私が見るには、このような状況は私をかなり重要な天宙的な人物にさせます、もちろん統一教会的な意味で。そういう理由もあって、半分血の繋がった私の兄弟の一部は私を嫌ったり、冷淡にあしらいます。これは私にとっていいことです。なぜなら文家には虐待の循環親から受け継いだ自己愛性人格障害や妄想性絶対観念(たとえば、彼らは特別なのでメンバーや他の人々を酷使してもいいと信じているなど)への傾向があるからです。この種の考え方や態度は、彼らと分かち合えないものです。

さてここで誤解しないでいただきたいのですが、私は次のメシアやそれに類する何かになろうとしてキャンペーンしているのではありません。率直に言って私には関心がないし、他の人を犠牲にして自分が特別だとか優れているように感じたい欲求に苦しめられたこともありません。
ドナ:「まあそれはあなたがそう言っているだけですが」(会場笑い)
サム:本当?! 私は痛いほど自分の限界を知っていて、誰かが神に近づくために私を必要とするなんて考えないくらいには賢いのですよ。神が何を望んでいるかが分かる本物の「特別な」洞察力を持っていると信じ、またそう主張することは、全くの自己陶酔に陥る危険な坂道です。

母と私はほとんどの人が理解するのが難しいと思われる特異な人生を歩んできました。
私たちにとってそれはこれまでに知っている唯一の人生なので、比較するものもないのですが、外から中を覗き見たとき私は今ではその異色さを感謝することができます。それでも回復への道のりは長くつらい闘いであり、この会場にいる多くの方々と同じように、愛する人々の支援と、本当に理解を越えた恵みと愛の普遍的な存在なしにやり遂げられませんでした。私たちの言葉や姿は普通に見えるかもしれませんが、私たちには永久に自分の存在に刻み込まれた傷跡があります。
私の大好きな、ハリール・ジブラーン(Kahil Gibran) の詩から引用します:
「悲しみがあなたの存在を深くえぐればえぐるほど、その深みを満たすあなたの喜びは大きい」

私たちは多くのことを通過してきましたが、それだけ多くを包含することができるので幸運だと思います。それは全ての経験から得られた祝福です。
また、ICSA(国際カルト研究会)に来るという驚くべきことになりました。多くのSGA(成人した二世のこと)がここにいます。また多くの学者と一般人の方がここにいます。それは私が前に進むための非常に力強い励ましのサインになりました。望みがあります。人々が彼らの体験から癒され回復する方法があります。ありがとう、皆さん。(会場、立ち上がり拍手)

27:46
母は17歳のときに私の父からの性的搾取に耐え、この同じ男のために当局に拘束され尋問(*1)されました。
同じく父を支持するがゆえ10憶ドルの相続を放棄(*2)し、秘密裏に父の息子を宿し、その後この同じ男のためにその子を強制的に放棄させられました。
過去5年間、私たちは、父と統一教会運動が私たちに支払うべきものの支払いを執行するよう訴訟をしてきたので、他の多くの統一教会信者と同じように私たちは今2人とも差押えと破産の寸前で生活しています。
自分としては、彼から認められるのを長い間望んできましたが、今は彼が自己陶酔に陥って感情的にあてにならなかったことを知っています。
私自身に息子がいて、自分の息子を捨てることはいうまでもなく彼なしで生きることは想像すらできないので、父の人生の選択がどれほど悲惨なのか今は知ることができます。私の父は本当に残念で悲惨な人間です。
そして彼に対する結論はこうです
「自分は全人類のメシアだ・真の父だと主張して、自分の息子には父だといわない、ありえません。それは究極の偽善です」(拍手)

(注釈)(*1)文牧師ゆえに「当局に拘束され尋問され」たのは、崔淳華氏ではなくお姉さんの崔淳実氏のことだと思われる。サムエル氏が語る教会の古い事情は母の崔淳華さんから聞いた内容だろうから混同があったのではなかろうか。梨花女子大事件(’55)を報じる当時の京郷新聞記事に「▲崔淳実=(女信徒)淫行媒介」とある。http://ameblo.jp/chanu1/theme2-10031388309.html(他にも崔家についての文氏自身のみ言葉など興味深い内容がある)
 また、『六マリアの悲劇』P122には、「李聖花(崔淳実の仮名)はまだ若かったので、担当官の混淫関係の調べで誘導尋問にひっかかり、拘束されることになったが、起訴にはならず、1週間後には釈放された。」とある。
 ちなみに「混淫」という言葉は日本語にはない。「代身」「約婚」などと同様に韓国・朝鮮語らしい。1900年代前半から朝鮮に存在した血わけを行うキリスト教風シャーマニズム的霊的集団(講演録では「セックスカルト教団」)を「混淫派」と呼んだことからきていると思われる。『六マリアの悲劇』の中では「混淫関係」という表記に(姦通問題)(セックス関係)などとと加えて補足説明している。この時文牧師が無罪になったのは取り調べで食口たちが嘘をついたりしらばっくれたり必死になって文教祖を守ったからだとも書いている。今回のサムエル氏の証言を読めば、当時警察の嫌疑通り女性信者たちとの「混淫関係」が事実あったことがはっきり分かる。
(*2)「父を支持するがゆえ10憶ドルの相続を放棄し」について、「質問に応じて:朴サムエル」の中で以下のように詳しく説明している。
「私の祖父は、母が教会を去るならば、祖父が所有している企業集団の最も重要な大韓生命(数十億ドルの企業)を与える用意をしており、また朴家から私を連れ去って教会と離して韓国で育てる準備もしていた。祖父には、そうする権力と所有権があったが、母は父に献身的な愛を捧げ、教会を去ることはなかった。」(注終わり)

父と教会を相手取った24億円裁判 29:38

既に述べたように、過去5年間、母と私は、父と統一教運動が私たちに負った負債に対する訴訟に巻き込まれてきました。
2千万ドル(私たちの法的請求金額)(訳注:約24億円)は誰にとっても大きな金額でしょう。日本で宗教的恐喝により強制的に奪われたお金を取り戻す、あるいは再請求するために統一教会を訴えた人々がいますが、原則として、私たちも同じことをしているのだと思います。私たちの訴訟は祖母と崔氏一族が1953年から20年以上にわたって教会に寄付してきた何百万ドルというお金に関してです。再び申しますが、当時の数百万ドルは今日では2千万ドルを優に超える価値になるので、統一教会運動は実際かなり大きな割引を受け取っています。
再度申し上げますが、結論はこうです。
私の祖母と母は、今の統一教会運動がなってしまったものに支援したのではありません。彼女らは、個人崇拝をして信者たちを精神的・経済的に奴隷状態にする(特に日本では大多数が貧困者になった)狂信団体に支援したのではなく、文氏家庭が生きている媚びへつらいに満ちた小世界を維持・強化してきた韓国人中心の支配エリート層を形成するために支援したのでもありませんでした。
もし統一教会が存続可能な正当な団体になりたいのであれば、その名の「統一」という部分に回帰する必要があります。
大多数の信者が乏しく生きているのを尻目に、文家族が海外の銀行口座に大枚何十億ものお金を積んでおかなければならない理由は、貪欲と腐敗以外にはありません。
慈愛は我が家から始まるとことわざにもあるように、今こそ統一教会運動が一つの世界家族を作るという創造委任に従って、単に口先だけで同意するのでなく、実践をする時です。 今日前に進み出る私たちの望みは、実際に他の人々が力を取り戻し、また残念なことに統一教会運動がそうなってしまった虚偽に参加するのをやめるために勇気を持つよう励ますことです。

最後に:表に出るのが遅れた理由 32:13

人々が疑問に思っているかもしれないので、ドナに場を譲る前にもう一点だけお話します。私が人前に出るのになぜそんなに時間がかかったのか、またなぜ私はナンスク(洪蘭淑)とドナ(Donna Orme-Collins) を支持して進み出なかったのか。
その理由は、単に私が素朴で鈍かったからだと今は理解しています。
当時私は父と何らかの和解を望んでいました。
教会のことを別にして、最終的には彼は私の実の父親であり、私は息子として本当に彼の善意を信じたかったし、父が私のことを本当に心配して気にかけてくれると信じていたかったのです。その思いは結局、手放すのが最も辛いものでした。
特に訴訟中に、彼らが基本的に訴訟の価値よりもっと多くの金額を弁護士費用に費やすのを見るとき、これらの人々の本性が分かるというものです。血筋をこのように扱うとは、特に私の母が払ってきた数々の犠牲をこのように扱うとは。それは私を本当に大きく変えましたが、ある時期までそれを経験しなかったので、私の方向転換が起こった時が遅くなりました。
これが今日いる場所へ到達するのにこれほど長い時間がかかってしまった理由です。しかし、少なくとも、私は本日ここに辿りついた、そのことが最も重要なことです。
皆さん、ありがとう。(拍手)

[出典:http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-632.html]

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