【金徳振】血分け儀式全告白/週刊ポスト1993年10月

血分け問題
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レポート/大林高士(ジャーナリスト)

あのソウルで行なわれた統一教会・合同結婚式から1年、この新興教団は外界からの強い関心を集めながら、いまも多くの謎につつまれている。資金は?政財界とのつながりは?布教の方法は?そして、彼らが信じる宗教的規範と現実社会の通念とのギヤップを、どう埋めていくのか?それらの疑問を解くひとつの手がかリとして、本誌は統一教会のルーツを探ってみることにした。ソウルで取材を進めるうちに、ある興味深い証言者に遭遇した。彼は、統一教会草創期の頃、文鮮明教祖の周辺で信じられ、実行されていた〃ある儀式〃について自らの経験を語りはじめた。

16人の女性信者と交わって

「文鮮明という名前に隠された秘密を教えてあげましょうか」

今年80才になる金徳振牧師は、こう語りはじめた。「文鮮明」とは、いうまでもなく統一教会(世界基督教統一神霊協会)教祖その人のことである。

「文鮮明の本名は文龍明なのだが、ある日、私が彼にこう教えたのです。「文」という字には十字架が2つある。その十字架を「明」という字の日の上下に加えると「朝」という字になる。だから、龍の字を鮮に変えると、「文鮮明」という名は「朝鮮」そのものになる。それから間もなくして、彼は龍明から鮮明にと改名したのです」

文鮮明教祖に改名のアイデアを与えたという金は、かつて統一教会の草創期の頃、文鮮明の側近であった。現在は、ソウル特別市警察庁の警察牧師の肩書を持っている。

私は、こうしてSEXリレ一の”走者”に選ばれた

ソウルで私のインタビューに応じた金の口からは、さらに信じ難い衝撃的な話が飛び出した。

「統一教会の源流が血分けのセックス教団だったかどうかという質問は愚問です。韓国では、統一教会が血分け教であったことなど多くの人が知っている。証人を集めろといわれれば、何人でも集めることができますよ。
現に、私自身が、文鮮明と交わって血分けされた劉信姫からさらに血分けされたのですからね。そうです。血分けとはセックスのリレーを意味します。私自身も、劉信姫とセックスした後、16人の女性信者と交わって、血分けを広めたのです」

口調は高ぶるでもなく、平然としている。金とは、いかなる人物なのか。ある韓国の警察関係者に確かめると、こんな答えが返ってきた。

「彼は韓国動乱(朝鮮戦争)の時、開城(現在は北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国の都市)で音楽教師をしていた。
金日成軍の侵入を受け開城も占拠され、以後、やむなく金日成を讃える歌を作ったりしていた。その後、韓国軍に捕らえられ、スパイ容疑で獄中生活を送っていた。しかし、1年と少しで結局、無罪釈放となり、統一教会に入信して脱会。現在は、刑務所の囚人たちを音楽などで慰問する警察牧師という職をつとめている」

私は、今年2回の韓国取材で、この金牧師と接触。何回かの長時間にわたるインタビューを行なってきた。そんなある日、彼は私にこう切り出したのである。

「私の日本語はつたないが、私の統一教会時代の蹟罪の意味をこめて、手記を書いてみようか」

日本統治時代に育った金は日本語の文章を書くことができる。私か金から手記を受け取ったのは、9月13日のことだった。そして、その手記はそのまま統一教会の血分け論争についての貴重な証言となっていたのである。

金の手記の書き出しは、こうだ。

〈私は1953年頃、陸軍中央軍法会議の結果、無期懲役を宜告され、無期囚438番になって大邱の第一陸軍刑務所に収監された。その時、刑務所教会聖歌隊に李錫彬(文鮮明の直弟子)なる人物がいて、私に統一教会の原理(血分け儀式)を完璧に教えてくれた〉

この儀式とは、どんなものなのか。私の問いに、金は、「教祖から血分けされた女性たちが男性に、その男性からまた別の女性へと清い血を伝えることによって、アダムとイブの時代から人々が背負っている原罪が消えるという教えだ」と語り、彼自身も「夢中になってその原理を聞いた」と答えている。

第一陸軍刑務所を出獄する時、金は李から「ソウルに行ったら文鮮明に渡してくれ」と1通の手紙を託された。

苦労して探し出したソウルの統一教会を訪れたのは、ちょうど礼拝が始まる時刻だった。その礼拝には、教会の重鎮の金元弼、劉孝元、その弟の劉孝敏(現在脱会)、そして朴正華(脱会)らが顔を揃えていたという。

礼拝が始まり、文鮮明作詞の讃美歌が歌われた。驚いたことにそのメロディが日本の軍艦マーチだったため、礼拝が終わると、金は、文に「こんなバカなことがあるか」と問いかけた。文の顔は真っ赤になり、以後、文に請われるままに金は19曲の統一教会の歌を作曲したという。

〈文鮮明は私を特別に待遇した。何故ならば私か原理を完全に悟って、彼と血分けした劉信姫(劉孝元の妹)と血分けしたからである〉

女好き不良青年・金徳振

手記は、統一教会の「血分け儀式」について、こう書いている。

〈文鮮明と肉体関係した女性は必ず第二の男性と、その男性は第三の女性と、またその女性は第四の男性と、肉体関係を、すなわち「リレー」式にするのである。
とくに文鮮明は、男信徒たちに、自分と血分けした女信徒の誰々と「血分けをやれ」と命令することができないのが原理。その女信徒は、自身が選んで男信徒ひとりと血分けしなければならないのである〉

血分けの相手は文鮮明が選ぶのではないのか。手記を読んで意外に思い、私がそう尋ねると、金は、当時は「原理」の原則が尊ばれていたと答えた。だが、金以外の信者の中には、文の指示を待つ人たちも多くいたという。

「では、文鮮明自身はいったい何人ぐらいの女性信者と関係したのだろう?」

私がそんな疑問を口にすると、金はまたまた平然とした口調で「百数十人」と答えるのだった。

その血分けの時にはどんな儀式をするのか。女性から男性に血分けする時は女上位なのか。金は少し苦笑して、「それは後でつけた理屈で、当時は欲望のままにしたものだよ」

金自身も、数多くの女性たちと血分けを行なっている。金は自らの過去を、手記の中でこう懺悔する。

〈劉信姫は、私を選んで、尊い生きた天の父様・文鮮明の聖血を私に伝授したのである。女好き不良青年・金徳振は、こんな好機を活用し、美の女信徒たちを厳選して「ソウル6名」「晋州4名」、肉体関係をした色魔であった〉

多くの信者の中から若くて美しい女性ばかりを選んだという金は、私に、この10名のほかにも「6名の女性信者と関係を持った」と告白している。

劉信姫の兄の劉孝元は、元統一教会の重鎮である。日本の敗戦直後、文鮮明が釜山で貧しき統一教会を旗揚げしようとしていた時に、ソウル大学を卒業したインテリで片足の不自由な劉孝元が入信して文の片腕となったという。統一教会の「原理講論」の実質的著者ともいわれる人物だ。

[出典:週刊ポスト 1993.10.1(P212-215)]

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