韓鶴子総裁 血分けの事実を認める

血分け問題
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韓国の清心大学院神学研究科の金振春(キム・ジンチュン)教授が、2022年4月19日、「独生女の本質」と題した講義を行った。その際の一幕「アボニムの尻尾を取り除くこと」の内容が、しばらく前にブログ村で話題になっていた。

金振春教授の話(抜粋):
お母様の観点からすると、再臨メシヤの使命を継承したお父様の立場は原理どおりに行くべきでしたが、実に残念なことがありました。それゆえ、お父様は、1960年の聖婚の時にそのような尻尾をつけている立場で新婦を決定する立場ではありませんでした。
–中略–
(お父様は)婚姻、つまり小羊の婚宴の前には結婚をしてはならず、復帰摂理 をしてもならない。この内容については私が先ほどお話ししましたが、お母様はまたそのようなみ言葉も強調されました。
–中略–
真の父母に尻尾(悪い過去)があるというのは本当に残念なことです。真の父母に尻尾がついて回るのはとても残念なことです。この尻尾というのは主にお父様に関連した尻尾で、世間の人々から多くの注目を集めている内容です。

韓鶴子氏の指示を受けて講義する金教授が、そうそう嘘やデタラメは言わないとして、これらは「お母様(韓鶴子)」から来た内容のはずです。
ここでの復帰摂理 とは、ピカルム/血分け/性儀式のことを指しているのは間違いないでしょう。(当時はピカルム性儀式を“復帰”と呼んでいた。「6マリアの悲劇」より)

文氏の1960年の聖婚以前の結婚も、ピカルムの性儀式も、すべて間違いだったと金氏(韓氏)は語ります。これらの恥ずべき出来事を文氏の「尻尾」と表し、「異端の尻尾」「良くない尻尾」「サタンが讒訴する尻尾」とも呼んでいます。
もし仮に、この尻尾が単なる世間の悪い噂のことであり、事実無根の風評であったならば、このような言いようにはならないでしょう。
「サタンたちが霊界で沢山讒訴するこれらの内容」
「何度も霊界で多くの讒訴があるので、お父様も物凄く大変だということです」
「正にこの聖婚前の内容もサタンの讒訴条件であり、聖婚後にあった様々な内容が全てサタンの讒訴条件となっており、」

全文はココで↓
http://homechurch.blog.fc2.com/blog-entry-1068.html
または下の動画でご覧ください。(日本語字幕あり)
「お父様を解放してさしあげましょう」の真意を代弁した金振春氏

つまり、50年以上夫婦だった韓鶴子夫人が、夫・文鮮明には聖婚以前にも以後にも「血分け」行為があったことを認めているのです。
7男の文亨進氏も父の「6マリア」摂理があったことを2011年と2015年に認めましたが、それに対する見解は違えども、今回のリークで韓鶴子夫人もその事実を認めているということがはっきりしました。
文教祖のやり方が間違っていた!という主張が印象深く、血分けの存在の事実が陰に隠れて見えにくくなっていますが、統一教会の救いの理解に関わる重要な問題です。
鶴子夫人が当たり前のように自然に、血分けの事実を認めたと解釈してよかですか。
え、ウソ、ほんと?統一教会にピカルム血分けが本当にあったの、元信者の偽証だと思っていた…なんてね。

もちろん、韓鶴子ほどではないにしても、これまでに信頼に足ると思われる多くの方々の証言がありました。

「独占:文鮮明師が必死に隠そうとした私生児と会見」https://www.motherjones.com/politics/2013/12/reverend-moon-unification-church-washington-times-secret-son/
2013年12月9日 [ マザージョーンズ ]

—–家庭の価値を叫ぶ宗教運動家が
如何にワシントンタイムズの発行者に隠し子を育てさせたのか。
記者:マライア・ブレイク

白髪混じりで柔和な物腰の朴サムエル氏は、77歳の実母、崔アニーとともにアリゾナ州フェニックスに住んでいる。
彼らの物語は、レーガン政権時代から共和党と密接な関係を保ってきた、奇妙だが影響力のある組織;文鮮明教団の隠された歴史にスポットライトを当てている。
崔アニーさんは1950年代の初めに、母と姉と一緒に文鮮明教団に入信した。当時、一家は韓国南部の都市、釜山に住んでいた。文氏は、重婚容疑で投獄された北朝鮮の共産党の労働収容所を脱出し、釜山に逃げてきたのである。
当初は数十人しかいなかった信者たちは、町はずれにある2部屋だけの家に集まり、教会のためにすべてを犠牲にすることを求められた。
若い女性信者にとっては、処女を捧げることも含まれる。崔さんによると、初期の女性信者の入門儀式は、文さんと3回セックスをすることだった。
また、文教祖は「六マリア」と呼ばれる6人の妾を抱えており、彼女も17歳の時にそこに加えられた。時々文氏は6人の妾を円形に集めて、順番に抱くこともあったという。
金教授は、文氏の「尻尾」に関する情報は広く公開されており、インターネットに膨大な資料があると語っていますが、その通りです。

金振春教授の話(続き):
お母様は、60年、既に1956年3月に大母様を通してお父様に会われました。それで、56年、57年、58年、59年の4年間、お母様は教会の礼拝に参加され、多くの内容を聞いたと話されました。多くの内容を知っていると、聞いたと。

ところが、お母様は専ら神様のみ旨を成し遂げること、ただひたすらその考えしかなかったので、どうすればそのみ旨を成し遂げるか、そのことについて沢山苦悩されたと語られました。それで、お母様はそのような状況がお分かりでした…

56〜59年は、韓氏の年齢でいうと、13歳、14歳、15、16、17と〜(圭子の夢は夜ひらくーではないけれど)その頃の教会の状況を、母親の洪順愛さんと一緒に、幼いながらも体感してきたということでしょう。それは大変です。

[出典:http://anzais.blog.fc2.com/]

 

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